レミゼ、マイ千穐楽が終わりました。
キャンディードの時にも書きましたが、千穐楽の「穐」は当て字なんです。歌舞伎なんかでの興行最終日の事を指すのが千秋楽なんですが、芝居小屋は昔は木造で、火を嫌っていたため「鶴は千年、亀は万年」から取ってこの字を当てたそうです。なので、舞台人として演奏する時は日本のこの風習に従って当て字をオレは使っています。
3月25日、震災の破壊、爪痕が深く残る中、レミゼのオケ練は始まりました。
震災前には京都で大学生室内楽オケ「烏丸御池シンフォニー」の演奏会を指揮し、東京に戻ってオレの弟子たちの卒業リサイタルを聴き、オレゴン大学助教授であり元メリディアン・アーツ・アンサンブルの名手である友人、ブライアン・マックウォーターとのセミナーを開催予定でした。
震災に出くわしたのは日比谷近辺でした。タクシーが動けないほど揺れ、目の前には異様な光景が広がっていました。
マックウォーターは成田に着陸できず、米軍基地経由で関空に足止め、そして次の日の朝の新幹線で東京入りしました。とんだ日本初体験です。セミナーは残念ながら中止、3日間程東京に滞在、色々語り合いました。その後オレは名古屋経由で富山入り。名古屋に入った瞬間富士宮市で大きな地震がありました。
名古屋の空気はシュールなぐらい平和で、富山はさらに平和。自分のオーラがどんより淀んでいるのを痛感しました。山代温泉に寄ってから東京に帰りましたが、とにかく心身的にストレスを抱え、体調が良くないことが多かったです。
そんな矢先にレミゼのオケ練が始まった訳です。キャンディードで一緒だったビリー&塩田チーム、そして今までにミュージカルで一緒に演奏した仲間が集まる中、レミゼの音楽が流れて行きました。10年前にニューヨークの「もう1つの帝国劇場」、インペリアルシアターで散々演奏したあの世界が戻ってきました。その時から音楽に運命と使命感を感じていました。
そして歌合わせに入っていきます。色々なキャストメンバーの個性が歌や空間の空気感に反映されていきます。その中で音楽が役者の言葉や芝居を彩るように創って行くのです。音楽は役者の付け合わせじゃない。舞台芸術の必要不可欠な一部であり、我々は非常にプライドを持っている。音楽家は役者の語感、空気感にアンテナを張り、役者は音楽にアンテナを張る。それで初めて芝居が出来る。それぞれのスタッフもその役割の中で芝居の進行が滞りなく進むように細心の注意を払う、必要不可欠な歯車です。要するに、本質的にはトップスターも「歯車の1つ」なんです。
日本の芸能興行はスター制度で成り立っています。でもジョンはそこに挑戦した。ちょうど1930年代にニューヨークで発足した、劇作家、監督、俳優等のそうそうたるメンバーが全員それぞれがアンサンブルの一員として舞台を創るニコライ・スタニスラフスキーの流れを汲んだ「Group Theatre」と理念は似ている気がします。
生の芝居は生きている。冒険がある。ハイリスクハイリターン。ミスも生じる。分かりやすいものから(リードトランペットが音外すとか笑)、我々にしかわからない舞台上またはピット内でのハプニングとかがある。でも芸術は減点法的発想では十全に楽しめないと思う。
舞台芸術の魅力を最大限に届けようと各自が凄まじいアンテナを張るわけです。張らねばならないわけです。
今回は舞台稽古でも何か特別な意志力を感じた。稽古で「One Day More」に差し掛かったときの「今日も…一日を生き延びた」という言葉が如何に切実に胸に突き刺さった事か。悲壮な使命感、そして絶望の中に見いだす希望の炎。
そんな想いをたぶんそれぞれが胸に持っていたと思います。
祖母が眠りに就きました。しかし、奇跡的に歌合わせと舞台稽古の間に通夜があったので、大阪まで会いに行けました。不寝番の時に横でラッパを吹いて聴かせてやりました。レミゼのメロディを幾つか吹きました。
4月8日の炎の出るような魂のプレビュー公演初日の熱気は今も鮮烈に覚えています。あの時の一幕終わりの時の帝国劇場での万雷のような拍手は一生忘れません。
生きている。そしてこれからも生きる。
生きる活力を我々の舞台で提供出来る。だからやる。
オレは音楽を生業としています。でも、本当はそれはオレに取って単なる「仕事」じゃないんです。自分の人生のエネルギーを燃やす場所なんです。
舞台は様々な表情を見せ、変遷を重ね、成長していきました。
幸せなんだ、というのを実感した日々でした。
表面上の出来不出来の波はその過程であった。しかし、舞台のみんなが全てをブチ込んだというのは自信を持って云えます。
そんなこんなで6月に入り、あっという間に先が見えてきました。
一昨日、エレベーターがジャベ、今氏と一緒でした。何度かすれ違ってますがいつも気さくに声をかけてくれ、柔和で物腰柔らかな紳士です。お互いに明日千穐楽ですね。宜しくお願いします、と言った彼の姿が印象的でした。
そして気迫溢れる昨日の今ジャベ。普段の柔和さからは驚くべきギャップ、そしてアツい。カーテンコール挨拶での、「今、こうして舞台に立っていることが幸せ」という言葉に共感。
ピットで共に戦い抜いてきた塩田明弘始め、音楽の戦友たち。そして去年のキャンディードで知り合って仲良くなった若き俳優たちと交わした会話。それらを温かく思い出す。
センチメンタルな気持ちは無かった。いつもやっていることが特別だからだ。
Today was just another day for me. A damned good one, though.
エピローグの最後の音を吹き抜いた後、塩田と握手した。ミュージカル演奏でのオレの本当に良き相棒だと思う。常に理念と音楽を共有してる。
今回のこのレミゼの世界を共有した全ての人に感謝の気持ちを捧げます。有り難うございました。オレに取って本当に特別な時間でした。
本日の大楽でスペキャとオケの戦友達が素晴らしい時間を過ごせますように。そして、オレの同僚のリードトランペットであり、初演からずっとレミゼを演奏している佐藤喜久雄氏が大楽で演奏します。ユーモアに溢れ、キャパがとても広く、人間味に溢れる素晴らしい音楽仲間です。長い間お疲れ様です。今日の演奏、思い切り楽しんでください!
そして打ち上げは行きます
キャンディードの時にも書きましたが、千穐楽の「穐」は当て字なんです。歌舞伎なんかでの興行最終日の事を指すのが千秋楽なんですが、芝居小屋は昔は木造で、火を嫌っていたため「鶴は千年、亀は万年」から取ってこの字を当てたそうです。なので、舞台人として演奏する時は日本のこの風習に従って当て字をオレは使っています。
3月25日、震災の破壊、爪痕が深く残る中、レミゼのオケ練は始まりました。
震災前には京都で大学生室内楽オケ「烏丸御池シンフォニー」の演奏会を指揮し、東京に戻ってオレの弟子たちの卒業リサイタルを聴き、オレゴン大学助教授であり元メリディアン・アーツ・アンサンブルの名手である友人、ブライアン・マックウォーターとのセミナーを開催予定でした。
震災に出くわしたのは日比谷近辺でした。タクシーが動けないほど揺れ、目の前には異様な光景が広がっていました。
マックウォーターは成田に着陸できず、米軍基地経由で関空に足止め、そして次の日の朝の新幹線で東京入りしました。とんだ日本初体験です。セミナーは残念ながら中止、3日間程東京に滞在、色々語り合いました。その後オレは名古屋経由で富山入り。名古屋に入った瞬間富士宮市で大きな地震がありました。
名古屋の空気はシュールなぐらい平和で、富山はさらに平和。自分のオーラがどんより淀んでいるのを痛感しました。山代温泉に寄ってから東京に帰りましたが、とにかく心身的にストレスを抱え、体調が良くないことが多かったです。
そんな矢先にレミゼのオケ練が始まった訳です。キャンディードで一緒だったビリー&塩田チーム、そして今までにミュージカルで一緒に演奏した仲間が集まる中、レミゼの音楽が流れて行きました。10年前にニューヨークの「もう1つの帝国劇場」、インペリアルシアターで散々演奏したあの世界が戻ってきました。その時から音楽に運命と使命感を感じていました。
そして歌合わせに入っていきます。色々なキャストメンバーの個性が歌や空間の空気感に反映されていきます。その中で音楽が役者の言葉や芝居を彩るように創って行くのです。音楽は役者の付け合わせじゃない。舞台芸術の必要不可欠な一部であり、我々は非常にプライドを持っている。音楽家は役者の語感、空気感にアンテナを張り、役者は音楽にアンテナを張る。それで初めて芝居が出来る。それぞれのスタッフもその役割の中で芝居の進行が滞りなく進むように細心の注意を払う、必要不可欠な歯車です。要するに、本質的にはトップスターも「歯車の1つ」なんです。
日本の芸能興行はスター制度で成り立っています。でもジョンはそこに挑戦した。ちょうど1930年代にニューヨークで発足した、劇作家、監督、俳優等のそうそうたるメンバーが全員それぞれがアンサンブルの一員として舞台を創るニコライ・スタニスラフスキーの流れを汲んだ「Group Theatre」と理念は似ている気がします。
生の芝居は生きている。冒険がある。ハイリスクハイリターン。ミスも生じる。分かりやすいものから(リードトランペットが音外すとか笑)、我々にしかわからない舞台上またはピット内でのハプニングとかがある。でも芸術は減点法的発想では十全に楽しめないと思う。
舞台芸術の魅力を最大限に届けようと各自が凄まじいアンテナを張るわけです。張らねばならないわけです。
今回は舞台稽古でも何か特別な意志力を感じた。稽古で「One Day More」に差し掛かったときの「今日も…一日を生き延びた」という言葉が如何に切実に胸に突き刺さった事か。悲壮な使命感、そして絶望の中に見いだす希望の炎。
そんな想いをたぶんそれぞれが胸に持っていたと思います。
祖母が眠りに就きました。しかし、奇跡的に歌合わせと舞台稽古の間に通夜があったので、大阪まで会いに行けました。不寝番の時に横でラッパを吹いて聴かせてやりました。レミゼのメロディを幾つか吹きました。
4月8日の炎の出るような魂のプレビュー公演初日の熱気は今も鮮烈に覚えています。あの時の一幕終わりの時の帝国劇場での万雷のような拍手は一生忘れません。
生きている。そしてこれからも生きる。
生きる活力を我々の舞台で提供出来る。だからやる。
オレは音楽を生業としています。でも、本当はそれはオレに取って単なる「仕事」じゃないんです。自分の人生のエネルギーを燃やす場所なんです。
舞台は様々な表情を見せ、変遷を重ね、成長していきました。
幸せなんだ、というのを実感した日々でした。
表面上の出来不出来の波はその過程であった。しかし、舞台のみんなが全てをブチ込んだというのは自信を持って云えます。
そんなこんなで6月に入り、あっという間に先が見えてきました。
一昨日、エレベーターがジャベ、今氏と一緒でした。何度かすれ違ってますがいつも気さくに声をかけてくれ、柔和で物腰柔らかな紳士です。お互いに明日千穐楽ですね。宜しくお願いします、と言った彼の姿が印象的でした。
そして気迫溢れる昨日の今ジャベ。普段の柔和さからは驚くべきギャップ、そしてアツい。カーテンコール挨拶での、「今、こうして舞台に立っていることが幸せ」という言葉に共感。
ピットで共に戦い抜いてきた塩田明弘始め、音楽の戦友たち。そして去年のキャンディードで知り合って仲良くなった若き俳優たちと交わした会話。それらを温かく思い出す。
センチメンタルな気持ちは無かった。いつもやっていることが特別だからだ。
Today was just another day for me. A damned good one, though.
エピローグの最後の音を吹き抜いた後、塩田と握手した。ミュージカル演奏でのオレの本当に良き相棒だと思う。常に理念と音楽を共有してる。
今回のこのレミゼの世界を共有した全ての人に感謝の気持ちを捧げます。有り難うございました。オレに取って本当に特別な時間でした。
本日の大楽でスペキャとオケの戦友達が素晴らしい時間を過ごせますように。そして、オレの同僚のリードトランペットであり、初演からずっとレミゼを演奏している佐藤喜久雄氏が大楽で演奏します。ユーモアに溢れ、キャパがとても広く、人間味に溢れる素晴らしい音楽仲間です。長い間お疲れ様です。今日の演奏、思い切り楽しんでください!
そして打ち上げは行きます
