さ、回復の兆しが見えてきたかな(まあ、練習だけは毎日やってるけど)。
Facebookで、相変わらず自然体でぶっちゃけたコミュニケーションが楽しめる。英語には関西弁と共通する独特の秒殺ツッコミ文化があり、多分オレが一番自然で得意な言葉の用法だと思う。あまり日本を出なくなってそれを使う機会がめっきり減ったのが悲しい。
今日みたいな天気の日は日を浴びながら散歩してカフェのテラスでのんびり茶したり、近所の公園で犬と戯れながら映画館に行ってウッディ・アレンの映画でも観たい気分になる。ウッディ・アレンも、もう75歳なんだなあ。典型的なニューヨークのユダヤ人(定義はないが)を一例に挙げろと云われたら彼は第一候補だね。あれはアメリカに長い間住んで、そしてニューヨークに長く住むことでその空気感と人間臭さ、そしてあの街特有のエスプリがわかる。映画自体は勿論、ニューヨークに住んでいなくても楽しめるけど、あの街にいる、という意識の共有は住んでいなければ解らないかもね。
でも文化ってのは形骸が変わってもスピリットは受け継がれる。ヨーロッパからアメリカに移住した人がポルカをやったら厳密に云うとヨーロッパのそれとは違う匂いがする。でも、それは歴史、人の流れを経て、そこでそれがそう息づいているわけで、そこには真実がある。だからオリジナルの形骸が大好きな日本人が「本場と比べて違う」みたいな似非ピュアリストな論争を繰り広げたり、ある人のある発言の一部を抽出して持論の代弁をさせるような稚拙な真似をしても滑稽なだけだ。本人達は気付いてない。もし仮にある文化に住み、それを感じ、学び、生きてきた人間なら「これが正統派な●●だ」みたいな事を排外的にアピらないと思う。異文化の中で生き、様々な事を考え、悩み葛藤する人間はその意味、本質をより深く掘り下げるから。
去年はシカゴに一回行っただけで、2年半ぶりのアメリカだった。どんどん浦島気分である。アメリカ国内にいた頃は、ロス、ボルティモア、フロリダ、ワシントンと常に繋がっていたけど、今は遠い異国の地みたいに感じる。自分のDNAの根幹をなす部分が削られているようで辛い。
最後にウッディらしい言葉を。彼のユーモアそのものだね笑
I don't want to achieve immortality through my work, I want to achieve immortality through not dying.
Facebookで、相変わらず自然体でぶっちゃけたコミュニケーションが楽しめる。英語には関西弁と共通する独特の秒殺ツッコミ文化があり、多分オレが一番自然で得意な言葉の用法だと思う。あまり日本を出なくなってそれを使う機会がめっきり減ったのが悲しい。
今日みたいな天気の日は日を浴びながら散歩してカフェのテラスでのんびり茶したり、近所の公園で犬と戯れながら映画館に行ってウッディ・アレンの映画でも観たい気分になる。ウッディ・アレンも、もう75歳なんだなあ。典型的なニューヨークのユダヤ人(定義はないが)を一例に挙げろと云われたら彼は第一候補だね。あれはアメリカに長い間住んで、そしてニューヨークに長く住むことでその空気感と人間臭さ、そしてあの街特有のエスプリがわかる。映画自体は勿論、ニューヨークに住んでいなくても楽しめるけど、あの街にいる、という意識の共有は住んでいなければ解らないかもね。
でも文化ってのは形骸が変わってもスピリットは受け継がれる。ヨーロッパからアメリカに移住した人がポルカをやったら厳密に云うとヨーロッパのそれとは違う匂いがする。でも、それは歴史、人の流れを経て、そこでそれがそう息づいているわけで、そこには真実がある。だからオリジナルの形骸が大好きな日本人が「本場と比べて違う」みたいな似非ピュアリストな論争を繰り広げたり、ある人のある発言の一部を抽出して持論の代弁をさせるような稚拙な真似をしても滑稽なだけだ。本人達は気付いてない。もし仮にある文化に住み、それを感じ、学び、生きてきた人間なら「これが正統派な●●だ」みたいな事を排外的にアピらないと思う。異文化の中で生き、様々な事を考え、悩み葛藤する人間はその意味、本質をより深く掘り下げるから。
去年はシカゴに一回行っただけで、2年半ぶりのアメリカだった。どんどん浦島気分である。アメリカ国内にいた頃は、ロス、ボルティモア、フロリダ、ワシントンと常に繋がっていたけど、今は遠い異国の地みたいに感じる。自分のDNAの根幹をなす部分が削られているようで辛い。
最後にウッディらしい言葉を。彼のユーモアそのものだね笑
I don't want to achieve immortality through my work, I want to achieve immortality through not dying.