リアルタイム20200704 -HSPはやっかい- | 1.5人称の恋

1.5人称の恋

片想いからの始まりから26年、遠距離の婚外恋愛は水面下のその下で続いてきた。「先生」であった彼との時間、過去の恋、そして今を書いていきたいと思います。

HSPはやっかいだなあ・・・と共存してきたつもりだけど思う。

私の場合はHSSもくっつけているので尚更。

 

 

基本的な感情や喜怒哀楽には増幅器がついてる

嬉しい楽しいの増幅は弱いけど、怒や哀に関してはスピーカー大きめ。突発的な事項や恐怖に関する反応は自分でも嫌になるほどで、それを防ごうと分析に分析を重ねて重ねて・・・さらに恐怖感を倍増させてしまうという悪循環。

 

感覚器、例えば耳には拡張器がついてるみたいなもんで一般的な「音楽鑑賞の音」で頭痛がする。

パートナーは学生時代から音楽を専攻してる。規律の取れた「心地いい」音であればまだいいけど、拍子のおかしい曲になるとテクニックのすばらしさをどうこう言われても、パチンコ屋の騒音と同レベルとしか捉えられなくて部屋から退散する。
日常の子供たちの小競り合い、兄妹げんかのけたたましい声で体力を奪われる。


・・・基本的に無音が好き。しーん、という音が聞こえるくらいの。

静か――――に1人で本を読む、のが好き。

 

 

結婚するまではそんな時間が当たり前だったけど

 

結婚して、子供が出来たら、そうもいかない。

 

 

 

 

子どもの受験なんて、もう、かき乱される最たるもの。


自分だってまともに「勉強」を納得のいくように出来始めたのは大学じゃないか・・・。受験は私がするんじゃない、息子だ、と思いながらも

 

自分の中学受験の頃の記憶が重なり、その頃の、恐怖や悲しみや苦しみがこみ上げる。

目の前に刃物が置かれ「望みがないから親子で死のう」と言われた、あの恐怖は今でも心にある。いつか、同じことをするのではないかという恐怖感と共に。

 

 

 

今の時間。これはね

乗り越えることの出来なかった過去を、落としてきた自己否定の過程を、息子を通してもう一度経験して、クリアしなさいって、

 

息子を、私から切り離して考えるための、ある種「魂のレッスン」だと言われているのだと思う。

 

 

私にはズルい逃げ場があるけれど

 

息子はそうじゃない。

 

 

息子の逃げ場は、全肯定の休憩ポイントは、本来は私でなくてはいけない。私のような幼少期を過ごさせないために。

 

 

 

「お母さんが! お母さんがずーっと〇〇中、〇〇中って言うから!だから!」

 

 

 

「高校受験でいいんじゃないの」

 

「いや、やっぱりもう1回受験勉強する。〇〇中を受ける」

 

 

その裏にある本音が、

眠たさとしんどさに押されて息子から飛び出してきました。

 

幼さは時に、自分が「どう思うか」すら気づかせない。

母の思いを当たり前のように受け取ってそれを自分の思いだと思ってしまう。しかしそこには葛藤や、何か違うというような違和感があって。

 

私はそれを経験していたから。

 

私の思いを受けての(随分前からそれを伝えなくなってはいましたけど)ことじゃないかと、彼の本音が出てくるのを待ってもいました。

 

 

やっと来たか、と。第一段階。それが出せる事、言えることは自分のなかの矛盾に気づき、私に出せたということ。

 

小学6年生の今そこ、は遅いかもしれませんが。

 

 

 

私の悲しみや過去の苦しみなど息子には関係ない。そうでないといけない。母の人生のやり直しを子供に生きさせてはならない。

 

 

本当は、中学受験の時期ではない気がする。

でも、受験はする、と譲らない。それは譲らない。

 

ならば、彼にとってベストはなにか。

 

 

「お兄ちゃんばっかり色々ズルい、お母さん!アタシだって」

という娘の金切り声にクラクラしながら

 

 

逃げるものか、とおもう毎日です。

 

受験生の母ってしんどいわー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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