2月は何も書かなかった。ラジオを聴くことが多かった性かな。
そんなラジオ番組で紹介していた本で、興味を引いた本が2冊あった。
「安倍三代」と「罪の声」。
「安倍三代」は、現総理安倍晋三の父、「安倍晋太郎」、祖父、「安倍寛」についてのルポルタージュ。青木理氏の著作。
「罪の声」は、第7回山田風太郎賞受賞、塩田武士著。あの「グリコ・森永事件」を題材にしたフィクション。
「安倍三代」は、政治家家系、「安倍」家についての話で興味深い。
晋三氏の祖父と言えば、母方の「岸信介」、大叔父「佐藤栄作」がすぐに思う浮かぶ。
二人とも、戦後日本の復興に大きな足跡を残した総理という印象が強い。
そう言えば、余り、父方、「安倍家」の話は聞かないとは思っていたが…。
晋三氏の父、「晋太郎」氏は、自分を「安倍寛の息子」と言い、「岸信介の婿」と言うことは避けていたそうだ。
この本でその辺の背景が分かった。
著者の論点は、「家業化」したとも言える政治家三代目ということと、現総理晋三の右寄りの政治姿勢、思想への批判だ。
意外にも祖父、父親の政治活動の足跡からすると、三代目の姿勢は予想外と言うのが面白い。
世襲政治家の家系には違いないが、必ずしも「保守本流」が安倍家の本質かどうかは疑わしい。
晋三氏自身、幼少のころから政治家への執着心があった訳でもなさそうだし、政治思想もはっきりしない。
「良家のボンボン、良い子」と言う表現がピッタリの印象だ。
祖父、「寛」、父親、「晋太郎」と晋三の生きた時代背景が違うが、大きな影響を及ぼしたのは、何といっても祖父「岸信介」であり、大叔父「佐藤栄作」に違いない。
そんな晋三氏と「安保」との関係を物語る話が紹介されていた。
祖父、岸信介は1960年の「安保改定」。
自宅の周りで繰り返される「安保反対」のシュプレヒコールに、幼い晋三も「アンポハンタイ」と叫んでいたそうだ。
それから10年後の「70年安保」。高校生の晋三は授業で安保に批判的な教師に対して「政治的な側面だけでなく、安保の経済的な貢献を評価すべき」と言う意見を述べたことがあるそうだ。晋三本人が述べているそうだが、肝心の教師にははっきりした記憶は残っていないらしい。
成る程ね。
晋三氏の政治との関係は、1982年に外相に就任した父親の秘書官になった時からだろう。
その父親は、総理を目の前にして病に倒れた。
そんな父親を見ていて悔しい思いをしたに違いないし、自分の政治家系の重さも痛感し、現在の政治家「晋三」を形成してきたのではないだろうかと想像する。
石原慎太郎、亀井静香氏が所属するタカ派の派閥の領袖だった父親、晋太郎は、「バランス感覚の優れた政治家」という評判だったらしい。
私の父親も、安倍晋太郎後援会に入っていた。必ず総理になる政治家とよく話していた。
それ程に、人を引き付ける魅力があったのだろうと思う。
しかし、「病気」には勝てなった。
それ以上に、政治の世界で生き抜く闘いにも負けたのではないか…。
一国の「総理」を狙うなら祖父、「岸信介」や大叔父、「佐藤栄作」の様な強烈な「姿勢」が必要で、決して「良い人」ではダメだと思ったのではないだろうか?
60年安保の時、私は小学生だった。小6かな?
小学校の同窓会で、「教室でアンポハンタイ、チンポサンセイ」と言ってデモ隊の真似をしていたと同級生に言われた。
自分にはそんな記憶はない。
70年安保の時、大学の教養課程だった。
必須科目の「経済学」の講義の時、担当助教授に「君たちは何をしているのか、僕たちは60年安保の時は東京まで反対のデモに行ったのだ」と発破をかけられた。
「安保」にはその程度の認識しかなかったね、一般学生にはね。
政治の世界は、見通しがきかないが、それ以上に決して「キレイ」な世界ではないらしい。
長期政権と思われてきた晋三内閣も、小学校への国有地払下げで余計なパワーを掛けている。首相夫人の活動が、「私人」か「公人」かと言う、不毛の議論すらある。
晋三首相が、目をかけている防衛大臣の周辺にもきな臭い話が出てきた。
朝鮮半島は南も北も不安定だ。
晋三首相も内心では、「重箱の隅を突くのは、いい加減にしろ!!」と怒鳴りたい処だろう。
さあ、そろそろ「野党」も常識ある行動に出ないと、本当に「有事」に備えられなくなるがね。
なんて、思いながら、もう一度「安倍三代」を読み直すかね。
「罪の声」はこの次にする。