「最後通牒」 | 『昭和23年に生まれて』のブログ

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堺屋太一の名づけた『団塊の世代』のど真ん中、昭和23年生まれ。
自分の人生を振り返りながら、気の向くままの思い出話。

今年も残すところ1ヶ月。

お袋の介護で、実家に来て3度目の正月になるだろう。


今日は、週1回のお袋の「リハビリ」の日だ。

だから、朝は少し忙しくなる。

お袋も、いつもより早く目を覚ます。

トイレに連れていく、蒲団を上げる、洗顔の用意をして、朝食の準備をする。

そこまでが私の仕事だ。

お袋が弟に「歯を磨く」と言う。

それで、初めて弟が歯磨きの準備をし始めた。

何時もは、お袋が起きてくる前に準備を終えるのだが。

今朝は、椅子に座ったまま、支離滅裂なことを口走っている。

やはり、リハビリの迎えが来るのが気になっていて、そっちに気が向いているのだろうか?


お袋が、着替えの洋服を取るからと弟に手伝わせている。

そういうことはできるのだ。

朝飯もできたので、テーブルに並べていると、お袋が「仏さまに参らないと…」と言って、立ち上がる。

何時もは、弟が座敷にある仏壇に連れていくのだが、今朝は違った。

「今日は、忙しくて時間がないから、行かなくて良い。慌てて座敷に行って転んで、頭でも打ったら大変だし」と、訳の分からないことを言って、動かない。

お袋も納得したのか、仏壇に行くのを諦める。


食事も終わり、お袋が出かける準備を始めるが、服の着替えがこれまた大変。

何時もは、少しは手を貸す弟だが、「俺ほど働いた人間はいない。他人の3倍は働いた」と、また支離滅裂なことを口走っているだけで、動かない。

そのうち「お袋のズボンが1枚しかないから買ってこよう」と言いだす。

一寸待て、ズボンは4,5枚はある。

さっき、お袋と一緒に服を見に行った処にかかっているじゃないか。

また、余計なものを買ってくるから、止めさせないと本当に買ってくる。

この家には、同じようなものが何個もある。

弟が「無くなった」と言っては、買って来るからだ。

「お袋のズボンは4,5枚ある。さっき見たお袋の服の処にあるだろう、アンタ何を見てるんだ、余計なものは買わなくていいぞ」と少しきつく言うと、

突然、態度が変わり、興奮した大声で

「貴様、何を言いやがるんだ、俺様を誰だと思っているのか! 明日まだこの家にいたら、ぶっ殺してやるからな!」

と怒鳴りだす。

耳の遠いお袋も、今朝は補聴器を付けているから、それには流石驚いた様で、「何をそんなに怒っているのか?」と弟に聴く。


曰く、

「朝から、うるさいこと言いやがるから...。身障者を馬鹿にしやがって...。」



以前にもあったが、何かキツク注意されたりすると、それが自分への攻撃と思い、こういう興奮状態になる。


朝から、支離滅裂な話を、うるさく喋り続けているのは、どっちだと言いたいが、そんなことが通じる相手ではない。

医者からは「固まってます」「自分に都合の良い言い訳の名人です」「すべて悪いほうに考えます」と、手の打ち様はないこと、改善の期待もないと説明は受けている。

救いは「極端に気が小さいので、他人に危害を加えたり、自分を傷つけたりはしない」ということだけだ。

しかし、365日、支離滅裂な話を四六時中聞かされる身にも、堪忍袋の限界がある。

また、お袋の世話に関しても、

「自分は身障者だからできない。兄貴がやるのが当然で、自分は最大限の手伝いをやっている」

と言う態度にも、

「そうだね」

とは思えない。


お袋が居なくなったら、一人で生活をすることになるだろう。

テレビでゴミ屋敷の報道があるが、一人になればこの家が「ゴミ屋敷」になるのも時間の問題だ。

お袋も、それを心配している。

そんな遠くない話だから、少しは本人に理解できるのではないかと...。


しかし、今朝の興奮した状態を見ていて、…

2年も前も同じようなことがあったしね…



「少しは...」という、期待を何処かに持っている自分が、みじめに思えてきた。

森の石松ではないが、

「馬鹿は死ななきゃ...」

なんだね。

12月8日は、太平洋戦争開戦の日だ。

「最後通牒」と言う言葉を思い出した。

今日から、お袋の世話が100%だ。

弟?

人間の姿形をした犬か猫だと思って…


「最後通牒」

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