遠藤周作著の小説「沈黙」を読み終えた。
最初に読んだのは、...相当前だ。
就職して会社の療にいたころに、遠藤周作氏の著作を随分読んだからそのころだ。
小説は、キリスト教を邪教として禁止し、教徒を排斥した江戸時代の話だ。
キリスト教と言えば、教会を連想する。
父親の転勤で、福岡から佐世保に移り住むことになった。
佐世保駅から松浦線で新しい住まいのある相浦に行く途中、車窓の外に教会がやたら目についた。
それ以上の想い出はないが、何故か、キリスト教には興味がある。
クリスマスの性かな?
「沈黙」を読みながら、宗教とは何だろうと思う。
欧州やアメリカの、所謂、西欧の文化や著作を理解する時に、キリスト教とは切っては切れないと言う話をよく聞く。
それだけ宗教と生活が密着しているのだろうか。
昔、マレイシアの会社に出向した時に、現地の方と結婚しイスラム教に改宗した日本人の方から聞いたのだが、イスラム教は、日本人の宗教観では理解できないそうだ。
イスラム教は、生活に関する様々な決まりを示していると語っていた。
イスラム教からすると、キリストもマホメット同様に預言者の一人に過ぎないそうで、イスラム教の一宗派ということになるらしい。
イスラエルとパレスチナの紛争の報道を見るたびに、21世紀でも神は「沈黙」している様だ。
「沈黙」するから「神」としての威厳、権威を守れるのだろか?
そんなことを考えてしまう。
この小説でも、人間の「強さ」「弱さ」に触れている。
体力や腕力のことではない。
心の「強さ」、「弱さ」だ。
宗教は、人の心の「弱さ」につけ込む麻薬みたいなものだろうか?
「神」、「仏」は、結局、我々一人ひとりの「心」の中の存在か?
ならば、「神」「仏」に向かって叫んでも、祈っても、
所詮、
「沈黙」
しかないのかもしれない。
「自分のことは自分で解決しなさい」かな...。