親父と息子の口喧嘩(アニメーション作品『この世界の片隅に』を観て。) | 親父と息子の口喧嘩

親父と息子の口喧嘩

ある親父とある息子が、社会の色々な事柄について論じます。
こんなことを考えている親子もいるのかと、ぜひぜひ少し覗いてくださいな。

 親父「お前さんに誘われて、この作品を鑑賞したんだが、素直に感動させていただいたよ。

舞台になった呉は、私も幼児の頃、短期間だが暮らしたこともある街だから、余計思い入れもあったのかもしれないな。

広島で育った女性、『すず』が軍港のある呉の一家に嫁いで、夫の両親に仕える戦時中のごく普通の家族の物語だったね。

戦中の庶民の暮らしぶりや空襲の凄まじさなどが見事に描写されていて、感動したね。

のんさんの声優ぶりも見事だったな。」

 

親父「戦時中の庶民の生活が本当に生き生きと、リアル感に満ちて描かれている。

作者はご年配の方かと思いきや、まだ40代のうら若き御婦人と知って心底驚いたな。

当時の市井の人達の生活感が実に生き生きと画面から溢れ出してくるようなアニメだ。

特に食事や料理の場面が秀逸だな。

そうだよ。あんな感じの食事風景だったよ。

懐かしいな。」

 

 

息子 「本当に良い映画だった。生まれて初めて、映画館に同じ映画を二度見に行った。

 

徐々に口コミで良さが広がって評判となっていったそうだけども、その評判にたがわぬ素晴らしい映画だった。

 

もちろん当時のことを直接は知る世代ではないが、時代考証がとてもしっかりして、描写が細かいということが分かる

 

序盤でそれが伝わったので、安心してこの映画から当時のことを学べるという気持ちになった。

 

そして、風景の美しさ。優しい水彩タッチの呉の風景と、昆虫や鳥などの描き方もとてもよかったなぁ。」

 

親父「主人公のすずのモデルは、どうやら原作者こうの史代さんの祖母に当たられる方のようだな。

絵の上手いところは、孫娘に隔世遺伝しているのかな。

それにしても、当時の生活用品などは実に緻密に描き出されているな。

原作者は図書館や新聞社等に通って随分下調べをされたらしい。

だから、時代考証が行き届いているはずだ。

いい作品とは、こういうものだね。」

 

 

息子 「うん。何故か、あの時代は暗黒の時代だと教わってきた。

暴走する軍の奴隷のようになって、人々は暗くひもじくあの時代を嫌々生きていた、と教えられてきた。

 

もちろん、そうではなかったのだよね。戦地に行かなかった一般国民も、お国のため、正義のために、日々を耐え忍ぶことで共に戦っていたのだ。

 

戦地に赴いた男衆に代わり、家と家族を護り、時にユーモアで周りを盛り立て、生活に工夫に工夫を重ねながらも、一生懸命にやっていた。

 

そのことを、この映画は教えてくれる。

 

我々が社会の大人(学校や新聞TV)から教わったこととは、一線を画している。終戦の報を聞いた時、皆が喜び、嫌々付き合わされていたものから解放された、と快哉を叫んだ訳ではなかった。

 

死を賭しても護らなければいけない正義があって、多くの人が命を投げ出したのに、『自分たちはなぜここで諦めなければならないのか』『どうして暴力に屈せねばならないのか』と悔し涙を流した一般国民も少なくなかった。

 

『死に遅れる』ということへの焦りは、実は軍人だけではなかった。

 

戦地に征く人々を見送り、遺骨を受け取る日々。
自分は戦闘に参加することは出来ず、耐える生活を続け、空襲やグラマンの機銃掃射から、一方的に身を護ることしかできなかった、そういう残された人々も、『死に遅れる』ということを感じていたのだろうね。

 

そういうことを感じることができたという意味でも、あの戦争についての偏った洗脳を受けてきた人々の心に、大いなる一石を投じる映画だと思う。」

 

 

親父「すずの嫁ぎ先、北条家は、父は海軍工廠、息子は軍法会議に務めていたから出征することなく、男手には恵まれていたが、男は戦地に赴き、女手でばかりで家を守っていた家庭が多かったのだよ。

戦況が悪化して次第に配給物資が乏しくなり、大勢の子供を養うために、お母さんたちは必死だったんだよ。

なにせ、『生めや増やせや』の時代だから、どこも子沢山だった。

配給券を手にして配給所前に並ぶシ-ンあっただろう。

闇市の光景も描かれていたな。

子供に食べさせるために、お母さんたちは大奮闘の毎日を送っていた。

くよくよしている暇なぞはなかった。

だから、皆カラッとして明るかったんだ。

お父さんは戦地で命がけで戦っている。

銃後のお母さんたちも戦っていたのだよ。」

 

 

息子 「うん。当時のそういう状況が、この映画では本当に理解できる。

 

米軍が空襲で投下した爆弾の中に、いったん不発弾と見せかけて時限装置を付けてある『時限爆弾』を混ぜていたという事実は、この映画で初めて知った。

 

非戦闘員を狙って、家々を焼いて殺しまくる空襲も酷いが、この時限爆弾というのは、完全に普通の人々を狙ったものだ。

 

昔はテロの可能性のある国で働いていたこともあり、色々と安全管理についてセミナーを受けた。

そこで教えられた中に、『一度爆発があったとしても、すぐにそこに近づくな』というものがあった。

 

普通は被害者を助けようとしたり、興味本位もあり、爆発現場に近づいてしまう。しかし、テロ犯はそれを知っていて、本当の大きな爆発を少し時間を置いて起こす。つまり、人々が集まってきたタイミングを見計らって大爆発を狙うことがある。

外道極まりない話だ。

 

米軍がやった『時限爆弾』も、これと全く同じだ。この極悪非道の手口を全く謝っていない。」

 

親父「どうやら、すずさんが大怪我をしたのは、昭和20年6月22日の空襲の日の出来事らしいな。

この日の米軍の空襲は、呉海軍工廠の造兵部を目標にしたものだった。

この際、時限信管付きの爆弾も投下された。

空襲の事後処理にあたる日本側の消火作業や修復作業を妨害する目的のためだ。」

 

 

息子 「そうだったのか。直接非戦闘員を狙ったものではなかったのか。」