皆さま沢山のメッセージありがとうございます。

facebookでのみなさんからのコメント。

 

年末年始は、私も体調を崩していて、年明けおばあちゃん(母)の顔を見て

「あけましておめでとう」ってじゅんくんと笑顔で新年を迎えた後、9度くらい熱出て。。。っと母のことをケアしてくれるスタッフさんから。

私も風邪をうつしてもいけないし、もらってもいけない。

ちょっと電話で様子を伺って。っと思った矢先でした。

 

 

86歳

年始1月某日、深夜

4時、家の電話がなり、

 

息をしていない。。。と施設の方から。

駆けつけると、何年もの間、私が見てきた寝顔そのまんま。

信じられなかったから、顔を見た瞬間、涙はその時出なかったような気がする。

 

 

別室に母を移してくれて、

母のお気に入りの服を着せてもらいたい。

栄さんの指輪。

そんな思いで顔を見つめていた時、

涙が止まらなくなった。

 

そして、

でも、一つだけ言いたかった。

「おばあちゃん虫の知らせ欲しかったよ。バイバイ言えなかったやんか。」

 

 

 

 

バイバイだけじゃない。一番いいたかったこと。

 

「ありがとう。」

 

私は幸せです。亡き父も84歳まで生きてくれて、一人っ子のわがままやりたい放題の私を大事に育ててくれました。

母は軽度でしたが認知を患い、私の介護歴も10年を越えようとしていましたが、何と言っても絶対に本人が一番しんどかったと思います。

 

母は39歳で今年49になる私を産み、

36歳で息子を出産した私は、母が倒れてから、息子と母のオムツを両方買っていた時期もありました。

その時は、周りから「この子大変?」(ちょっと若く見られていたことも手伝って。)

みたいな視線を感じてましたが、私はそこが救いでもあったように思います。

 

私もいつも気丈に居られず、今思えば、もっと側に居てあげられたんじゃないか。。。って複雑な思いが募っては涙、いやこれでよかった?と思って笑っては、また込み上げてきて、涙。

 

母は、父と大きく違って、人がたくさん集まってくるのを好みませんでした。

ですから、本当に近い親戚と、同級生、一部のフラメンコ仲間や、ルシアの二人。

そして、たくさんのお悔やみの言葉、みなさん

ありがとうございます。

 

 

 

 

ずっと考えていました。

これからのこと

 

考えに考えました。

高知から出るなら

ゆっくり考える時間はありませんでした。

息子の転校。引っ越し。

 

考えに考えた挙句です。

 

今年は、高知で頑張って行きます。

 

どうか応援よろしくお願いします。

 

これが一番の思い出↓かも。

母と羽田へ行った時のブログです。

 

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最後は母が望んでやっと入れた施設で。2017敬老会にて。

 

私のソロCDを聴かせたかった。

 

次へ進んでいこうと思います。

いつもみなさんに支えてもらっています。

本当に心から感謝です。

 

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