日本のカフカと呼ばれるシュールリアリズム劇作家・小説家の安部公房、戦後いち早く電子音楽に手を染めた作曲家 黛敏郎。このふたりが四つに組んだ。演出家の千田是也も、戦前からブレヒト翻案劇を手掛けるなど前衛芸術家としては人後に落ちない。

 

 このような刺激的なトリオを中心にした創作ミュージカルが、今から55年も前に大阪で上演された。大阪労音(勤労者音楽協議会)製作の『可愛い女』である。1959年(昭和34年)8月23~30日、於フェスティバルホール。

 

 菊田一夫率いる東宝ミュージカルでさえ、歌入りアチャラカ芝居の域を脱していない時代だったから、なんと時代の最先端を行く野心的な試みに見えたことか。

 

 配役がまた色とりどりだった。タイトルロール“可愛い女”はペギー葉山。昭和34年というと、彼女の「南国土佐を後にして」が全国的超ヒット曲になった年でもあった。

 

 ヒロインにからむ3人の男は、立川澄人(金貸し)、横森久(刑事)栗本正(泥棒の頭目)が演じた。立川、栗本はオペラ界から、横森は新劇界から馳せ参じた。出演者総員54名という大所帯なのにも驚かされる。

 

 クラシックとジャズ合同のオーケストラを指揮したのが、人気・実力ともにぱりぱりの岩城宏之とどこまでも贅を尽くしている。

 

 総製作費2000万円という噂も聞こえて来た。現在の貨幣価値だといくらになるのか。

 

 当時、大阪労音は鑑賞団体として絶頂期にあり、抱える会員は13万人とも14万人ともいわれた。それだからこそ無謀な挑戦にも踏み切れたのだろう。

 

 この画期的な創作ミュージカルの裏にはひとりの男の影が見え隠れする。大阪労音所属のプロデューサー浅野翼(1929~99)。労働組合活動と密接な関係にある労音で働く人物にしては、例外的に組合活動家の体質・体臭が感じられなかった。

 

 白皙、長身、やさしい語り口、いささか気障なイメージさえつきまとう優男だった。文学、美術、音楽に深く通じ、とりわけ前衛芸術への傾斜を隠さなかった。私は、『可愛い女』には彼の前衛趣味がきわめて色濃く反映していたと見る。

 

 山崎豊子に「仮装集団」(新潮文庫)という小説がある。舞台となる勤労者音楽同盟は大阪労音、主人公流郷正之は浅野翼である。作中、流郷が『ロミオとジュリエット』を下敷にしたミュージカル(『ウエスト・サイド物語』とは無関係)を作るべく悪戦苦闘する姿も描かれる。

 

 肝心の舞台の仕上がりはどうなったのか。私は「不消化の問題意識ばかりちらついて、ミュージカルの楽しさとは縁遠い」(朝日新聞、65年6月20日)と酷評している。労音会員の多くもわけわからず戸惑ったのでは?

 

 ペギー葉山の思い出話ひとつ。
「岩城さんが千田さんに交渉して、公演の途中から筋に関係なく『南国土佐~』を歌う場面が追加されたの。これが会員に受けて受けて……」

            (「 シアターガイド」11月号より転載)

      ミュージカル『可愛い女』(1959)のパンフレットです。