約七十年前 昭和の三十年代 西暦1955年辺り…
当時の街中には自動車など殆ど見かけなかった
砂利のデコボコ道路では近所のお兄さんたちがキャッチボールをしていたし夏などは近所の川で水泳を していた………
たまに牛乳配達や鮮魚/野菜を積んだオート三輪が………かなりスピードが遅いのでガキどもが後ろの荷台につかまって少しの間の危険ドライブをして 怒鳴られていた………
四輪でなくオート三輪でハンドルは自転車みたいな バーハンドル………
メーカーはメグロ製やダイハツ製が多かったと記憶している
二輪のオートバイは陸王/インディアン/メグロなど
行商の魚屋さんなどはエンジン付自転車いわゆる バタバタとかバタ公などと呼称していた
とにかく未舗装の凸凹道路で雨でも降ろうものなら 水溜りのオンパレード………近所の川から亀などがはい出して道路を歩いていた
御用聞き(食品の注文取り)のオジサンやお兄さん などは26インチの重い自転車に乗り ドリフの加藤ちゃんみたいに鼻唄(女の道)を歌いながら走っていた
……当時はピンカラトリオなど居なかったので例えば 岡晴夫(地元の歌手)の憧れのハワイ航路とか春日八郎のお富さんなどを鉢巻をしたお兄ちゃんやオジサンが気持ちよさそうに自転車走行音楽会をやっていたね………ガタガタ道だからバイブレーションがかかって上手く聞こえるのだ!
楽しみは松下電器製の真空管式ラジオから雑音交じりで聞こえてくる三つの歌とかNHK素人のど自慢大会とかわたしは誰でしょうとか宝塚実況中継(もちろん音声だけ)など……
たまにラジオが聞こえなくなるとオヤジがゲンコツで ラジオを叩くと聴こえるようになった
だからいまでもGGは物がこわれると叩いて直す癖がついているのだ
但しGGが悪さやイタズラをしたり勉強ができないと 頭を叩かれたものだ……でも直らなかった!