子供たちの将来を見据えた指導法【静学スタイルまえがき】

 

 サッカーがスポーツである以上、勝利が最大の目標であることは確かだ。

 でも、ただ「勝ちたい」だけではダメだ。

 俺は「美しく勝ちたい」・「人を感動させて勝ちたい」と思っているんだ。

 なぜなら俺にとって、スポーツは、絵や歌、書と同じ1つの芸術だから。例えば人々がメジャーリーガーのイチローやプロゴルファーの石川遼に注目するのはなぜなのか……。彼らが勝つところを見たいのもあるだろうが、それだけじゃない。彼らのプレーから、ありきたりの日常では見られない「特別な何か」を見て、感じたい。そういう思いがどこかしらにあるからじゃないだろうか。

 そう考えるから、俺は自分が指導する子供たちにも美しいサッカーをしてほしい。そういう気持ちで約50年間、向き合ってきたんだ。

 Jリーグのユースチームのサッカーを見ていると、どのチームも判で押したように同じようなパスの受け方、相手の崩し方をしていて、全く面白味を感じない。

 その原因はマニュアル通りの指導にある。どこもマニュアルに頼っているから、独創性やオリジナリティが生み出されることはない。

 俺にとってサッカーは芸術。型通りの練習やフォーメーションから魅力的なプレー、人を驚かすような芸術的なプレーは、決して生まれないんだ。

 もちろんマニュアルが全て悪いとは言わない。マニュアルに従えばラクだし、ある程度の結果はすぐについてくる。

 特に高校生年代なら、守備の組織練習をしたり、ディフェンスの選手がボールを持ったら大きく相手陣地に蹴りこむなどして失点のリスクを減らせば、負けないサッカーはできるかもしれない。

 けれども、「美しく勝つ」ためには、回り道かもしれないけど、与えられたものではなく、子供たちが自分の頭で考え、独特の戦い方や武器を作り出す努力をすることが肝要だ。

 そう思って、俺は個人のテクニックやスキルを磨かせることに持てる力の全てを割いてきた。GKがボールを持った時「蹴らずに投げてつなごう」と指示した。DFにも「大きく蹴り出すことはせず、味方同士で丁寧につなぎながらビルドアップしていこう」と囗を酸っぱくして言い続けてきたんだ。

 そうやって努力をするんだけど、実際の試合になるとなかなか勝てない。三浦泰年がいた頃には、高校サッカー選手権の静岡県予選決勝で1-6と清水市に大敗した。便所の脇で、悔しくてみんなで泣いたことを今も鮮明に覚えている。

 やっぱり勝ちたかった……。

 学校や保護者からの「勝ってくれ」というプレッシャーもあった。

 何より、ピッチ上でプレーしている子供たちが一番勝ちたかったはずだ。

 俺自身だって、「理想を捨てて、ただ蹴って走るサッカーに戻そうか」と悩んだことも1度や2度ではなかった。

 繰り返し迷いながらも、結局のところ、理想のサッカーを曲げることは決してしなかった。

 そうやって信念を貰いたのは、「自分の指導に徹することが、必ず子供たちの将来にとってプラスになるはずだ」という強い気持ちがあったからだ。

 勝負の世界は勝者と敗者がいる。長い人生の中で、高校時代というわずかな時問に負けることくらい、そんなに大したことじゃない。

 むしろ、頭が柔軟なその時期に、自分で考えるサッカー、個人を磨くサッカーをしておけば、いつかきっと勝てる時が来るんだ。

 だからこそ、俺は子供たちにこう言い続けている。

「お前たちがやっているようなサッカーは、他のどのチームもやっていない。自信を持って続けていけ」と。

 自分が尊敬する藤枝在住の石の彫刻家・杉村孝先生にも、力強い言葉をいただいたことがある。

「今、彫った地蔵の顔は、千年経ったら、もっといい顔になる」と。

 偉大な芸術を作り上げる人物というのは、目の前にあるものではなく、ずっと先の完成形を見ているんだと、これを聞いてしみじみと痛感した。

 同時に、自分のやってきたことが問違いではなかったと、安堵感に包まれた。

 育成年代の指導者は、彼らと同じように長期的な視点を持って、物事に取り組まなければならない。子供たちの今ではなく、10年後、20年後の姿をイメージして、アプローチしていくこと。それを脳裏に刻みこむ必要があるんだ。

 そう自分に言い聞かせながら、雨の日も、風の日も、凍りそうな寒い日も、太陽の光が痛いくらい暑い日も、俺は黙々とグランドに通い、選手たちのリフティングやドリブルを見守ってきた。時には自分自身がブラジルに行って仕入れてきたメニューを実践して見せたこともあった。

 地道な日々の積み重ねの結果、三浦泰やカズのようなJリーガーを63人も輩出することができた。日の丸を背負ってワールドカップに出た選手がまだいないのは少し心残りではあるが、中学生の時点では決してトップレベルでなかった選手たちのテクニックを鍛え上げ、表舞台に送り出した事実は重い。俺自身にとっても大きな誇りに他ならない。

 静岡学園出身の選手は本当にボール扱いに長けている……。

 そんな評判を耳にするたび、心が熱くなったものだ。

 泰年やカズのようにトップレベルまで到達する選手はやはり何かが違う。サッカーへの取り組む姿勢、諦めないメンタリティ、負けじ魂や闘争心…そういう部分がとにかく重要だ。

 いくら類まれなセンスを持っていても、それを自分の努力でコツコツと磨けない人間は大成しない。やはり「継続は力なり」だ。

 ある意味、異端児扱いされながらも、必死にもがき、自分流を見出そうとしてきた俺自身のサッカー指導者人生、哲学がここにある。 

 

井田勝通