恩を感じるとは「自分の心が向いている原因」を自覚すること。

 

親が彼の夢の為に懸命に働き、脇道にそれること以外なら、彼の背中を押してくれること。

 

これが成長の力、挫折の中でも高き目標曲げない根源。

彼は自分の夢にたくさんの方が支えてくれている事を理解することで、背中の親の手を感じるんだ。

他人の資金でまかなった部活動や授業料や高額な遠征費用。

例えれば100m競争のスタートラインを自分だけ30m前にしてもらうことで、

11人で11個の席が準備されるイス取りゲームが準備されることで、

なにが彼の人生の目的に良き影響を与えるのだろう。

マラドーナやメッシならいざ知らず、

日本のほとんどの選手は普通だ。

普通よりほんの少しだけ速く、

他人より早熟であるだけなことに、

特別という欺瞞を纏った待遇は、

本質的に普通の選手である彼の力になることははなく、成長の桎梏(しっこく)となる。

これが私が確信する経験則。

(家庭が経済的苦境にあり、経済的援助を心から感謝し進む者も少数だがいることは記しておこう)

特別な選手などそうそういない。

数十人を特別に待遇し抱え込み、特別な選手を探してもメッシは見つかるわけがない。

普通だがちょっと特徴のある選手を、競争と継続と後ろ盾を感じて彼自身が覚悟して進んで苦労する環境こそが必要だ。

神の創造物である天才はつくれない。

何十年。

忘れようとした時ポッと出てくるんだろう(笑)。

天才の親はきっとその天才を溺愛して育ててはいない。

稀有な特別な人がいるとしたら、特別な故に、特別と言われても、他人とは決して比べない。

特別だから。

だから努力の天才は常に上を向けるのだ。

特別でもないのに特別な看板持った人は、自分の横にいる特別ではない人に恐怖を感じ、ことさら「自分は特別」と言い張り、実像を看板で覆い隠す。

身なりだけが気になり、気がつけば前を向くことさえ忘れている。