サッカーにかける覚悟

IDA SOCCER NIGHT SCIENCE 夢に向かう君へ

 サッカーが上手くなるのは自分自身、誰も手伝ってはくれない。やるのは自分だ。人生を何かにかけた人には突き抜けた迫力がある。その動機が、貧しい国の人たちのように生活のためであっても、君たちのように「夢と呼ばれるもの」であっても同じだ。

 そしてその決意は、内なるもの、動じないもの、これこそはと思うもの、自分の意思から発せられたものである。だから「何かにかける人」は、他のいろいろな関心事にも飛びつかないのだ。

 人生をサッカーにかけるということを、もう十五歳を越えたのなら自問してみなさい。もしもだ、そこまで「サッカー」が好きでなければ、人生をかけた振りをしない方がよい。無理だから。

 言われてやるサッカーでは、あまり身につかないものだ。それなりにがんばるしかない。適当にがんばって、時々適当に遊んで……。その代り、出てしまった結果を嘆くんじゃない。それが自分の選択した生き方の代償なんだ。多くの人はみな代償を負って生きている。

 

少々無理をせよ、根気よくな

 

 これから先、いつも自分を少々無理な状態に置きなさい。

 人間は自然のままでは成長しない。かといって、例えば眠る時間もないといった無理な状態でも長続きはしない。適度な睡眠も大切だ。少々無理な状態なら続く。その状態をいつも根気よく続けていくことで人は成長していく。

 夏目漱石は弟子である芥川龍之介への手紙で次のように語っている。

 「世の中は根気の前に頭を下げることを知っていますが、火花の前には一瞬の記憶しか与えてくれません」(一九一六年 芥川龍之介・久米正雄宛手紙)

 才能は、時代ごとに変化するものだし、火花のように刹那的なものでもある。当初は才能があると見られていた人が実際はそうでなかったり、また別な才能が出ると霞むこともある。けれども根気はずっと続くもので、そこに人は頭を下げると言うのだ。

 だから先輩などを見て「すごい才能だ。自分はとてもかなわない」なんて落ち込むことは全く不要だ。やる気を持って、年月をかけてじっくりと挑んでいくならば、恐れるものは何ひとつないはずである。