学ぶこと・奥深さ・六言六弊
「遊侠上がりで直情径行型の子路」の話
俺は思った。
ああ自分だなと。
「吾十有五にして学を志す」『論語』にある有名な言葉である。
ここにいう「学」は、今日の学校の勉強とは異なる。
孔子は十五歳の時に「大人(たいじん)」になろうと志した、ということである。
人の上に立って人びとによい影響を与えるのが大人である。
人の上に立っても人びとに悪い影響を与えるのは、大人ではない。
孔子は自らの人格を立派に完成させて大人になるべく、聖賢の教えに学んでいこうと十五歳の時に決心したのである。
学問によって人格を練り上げていった人生。それが孔子の一生であった。
………略………
遊侠上がりで直情径行型の子路を諭した「六言六弊」の教えは、学ばない人間の通弊を説いて鮮やかである。
「お前は六言の六弊というのを聞いたことがあるか」
と、孔子は子路にいう。
「お前は六言の六弊というのを聞いたことがあるか」
と、孔子は子路にいう。
六言とは六つの言葉で表される人間最高の徳(仁・知・信・直・勇・剛)のこと。
その最高の徳も学問の裏づけがないと弊害が生じる、というのである。
子路は「ありません」と答える。
「それでは教えてあげよう。座って聞きなさい」
仁を好みて学を好まざれば、その弊や愚なり
―仁とは愛情、思いやりである。仁を好むのはよいが、学問しないと盲目の愛になり、人に騙されたり、陥れられたりする。
―仁とは愛情、思いやりである。仁を好むのはよいが、学問しないと盲目の愛になり、人に騙されたり、陥れられたりする。
知を好めども学を好まざれば、その弊や蕩なり
―知を得ることは大事だ。知は人間形成の礎となる。しかし、知を好んでも真の識見を身につけないと、博学を誇るだけのとりとめのない人間になる。
―知を得ることは大事だ。知は人間形成の礎となる。しかし、知を好んでも真の識見を身につけないと、博学を誇るだけのとりとめのない人間になる。
信を好めども学を好まざれば、その弊や賊なり
―信を重んじるのはよいが、条理をわきまえないと、物事を破り、損ねてしまう。
―信を重んじるのはよいが、条理をわきまえないと、物事を破り、損ねてしまう。
直を好めども学を好まざれば、その弊や絞なり
―絞は首を絞めるように窮屈なこと。正直はいいことだが、学問をして識見を持たないと、馬鹿正直で頑固、融通の利かない人間になる。
―絞は首を絞めるように窮屈なこと。正直はいいことだが、学問をして識見を持たないと、馬鹿正直で頑固、融通の利かない人間になる。
勇を好めども学を好まざれば、その弊や乱なり
―勇ましいのはよいが、学問をしないと、勇ましいだけのならず者になり世を乱す。
―勇ましいのはよいが、学問をしないと、勇ましいだけのならず者になり世を乱す。
剛を好めども学を好まざれば、その弊や狂なり
―強者であることはよい。しかし、学問による反省がないと、いたずらに力を振り回すだけの狂者になる。
―強者であることはよい。しかし、学問による反省がないと、いたずらに力を振り回すだけの狂者になる。
どんな美徳も学問による鍛錬を経ない限り、悪弊となる。
二千五百年前に孔子が説いた教えは、時代を超えて我々に届く。
………略………
2010-2致知
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2010-2致知
