井田勝通30代そこそこの時、こう考え戦っていた。今のあなたなは何歳でいかに挑戦し戦っていますか?
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イソップこう読むvol.2 1981年4月「フラタニティ第3号」
カメさんはゆっくり歩いて
〝勝つ〟ことができました     監督 井田勝通

イメージ 1 今年の春は私たちの数多くの仲間達と全国各地でサッカーについて色々な事を話し合い、討論する機会に恵まれて、春の陽気だけでなく、なんとなく心の中まで豊かに暖かくなって楽しかった。私たちの仲間は「どうしたら理想的なサッカーに近づくことが出来るか?」という命題をめぐって討論を幾度となく重ねている。
昔話に「ウサギとカメ」との競走の話がある。誰が考えてもカメには勝ち目がないと思うのは常識である。

この話の中には色々な教訓が含まれているが多くの人々の間で当然の常識とされていることが、実は当然の常識ではない場合があるという事も教えている。

歴史的な事実とされていることでも真実でない場合がある。
「蒸気機関車の発明はスチーブンソンだ」と今でも学校の教科書に晝いてあるそうであるが、一般に多くの人々は当然の常識として信じているが、元ロンドン博物館長のマイケル氏によると「蒸気機関車の発明者は、リチヤード・トレビシックであり、彼はスチーブンソンより10年以上も前に蒸気機関車を走らせだ」そうである。
科学者や物理学者の間でも当然の常識とされていることでも、それがいつまでも当然であるとは限らない。
われわれはこの生きている世界が休みなく前進しているということを知っておかなければならない。
マルコニーは目に見えない電波に夢をかけた。それが今日のラジオやテレビを生んだのだ。
だがマルコニーが電線などを使わないで空中を通信できることを発表した時、友人たちは、彼を「気が狂った」といって精神病院へつれていったという話は、今も語り草になっている。
1958年のことフォンブラウン博士は「月へ人を送る計画」についてアムステルダムの学会で話したが、その場に集まっていた科学者達は「そのような活はSF愛好家の会合ですべきだ」といって拒否反応を示したという。しかし1969年にはアポロ11号は2人の宇宙飛行士を乗せて月に着陸したのである。

現在当然の真理とされ当然の常識とされているが将末もそうであるかは解らない。常識を疑う心がなければ人類の進歩はない。
われわれの生きているこの世界では、つぎつぎに新しい指導者が現われ、新しい発明がなされ、発見され、新しい教育法が開発され、新しい市場が創造され、生み出されつづけているという事実を認識しておくべきである。

サッカーに関しても同様である。
監督もコーチも選手も今日のサッカーを過大評価しないで、過去の繰り返してきた過ちを反省し、単なる目先の勝ち負けにはこだわらないで、何が肝心であるのかをよく考えてみるべきだ。当然の常識を疑ってみる必要がある。
子供の遊びのサッカーはプロの監督がいろいろと工夫した練習種目よりもはるかにサッカーの本質に近いからであることを知るべきである。
子供は一人で遊ぶ時は、リフティングしたり、ドリブルしたり、家の壁を使ってトラップやシュートの練習をする。

二人になると小さなゴールをつけて遊ぶ。ルールを自分達でつくり、シュート、ドリブル、バス、ヘディングとゲームをいろいろと工夫してやる。しかしいつもゴールを狙い、また防ぐのが中心である。子供たちの澄んだ頭には「サッカーは2つのゴールの間で行なわれるものだ」という概念があるからであろう。

われわれはこの教訓をないがしろにしてはなるまい。
サッカーはゴールとゴールの間で行なわれるゲームである。根本は単純である。ボールを持ったチームはゴールに入れようとするし、相手のチームはそれを防ぐ、それがすべてである。

ボールをもつということが非常に大事であって、味方の陣地から中盤まではできるだけミスを少なくして、できるだけ長く味方の間でボールをもつのが目的である。ボールをもってないチームにゴールはありえない。

これを理解さえすれば、小学生時代から、くだらないシステムに惑わされることはない。それは流行と同じで流行りまた廃れるものである。
サッカーの単純な根本“ボールを持つ”ということはいつまでも変らないだろう。ボールをもったらシュートまで相手に渡さないことである。そのために前にゆこうが、後にもどろうが、右へゆこうが左へゆこうが、歩こうがゆっくりやろうがかまわないのである。

私たちは速いウサギか勝つと思ってはダメなのです。今までの日本式サッカーの常識を一回忘れてしまうことです。固定観念を捨てることです。
人類の歴史をみても世界的な指導者として尊敬を集めてきた人には、まだ見ることもさわることもできない末来を固く信じつづける力をもっていたために、高層ビルを建設し、高速道路をつくり、都市を築き、工場をたて、潜水艦や飛行機や自動車、テレビなど人類の生活を便利にするあらゆるものを生み出してきからだ。
この変化に富んだ世界で、私たちは人々から“空想家”だとか“理想家”だとかといわれ軽蔑されても決して動謡してはならない。

先覚者たちのパイオニア精神を身につける。彼らパイオニアたちの夢こそが、現代のこの価値ある文明を創造し、その精神力が活力の源泉となってわれわれ人類の才能をここまで開発してきたことを忘れてはならない。

私たちが今やりつつあることが正しいことであって、その実現を“信じること”ができるならば私たちには前進あるのみである。私たちはその夢に敢然と挑戦をするのだ。
もし失敗したらどうするつもりなのか、などという声は無視するのだ。なぜなら、そのような人開は、どのような失敗にもその裏には必ず価値ある成功の種子が隠されているという事実を知らない人たちだからである。
カメさんはゆっくりだったが最後まで“勝つ”その夢を捨てることはしなかった。