大島成長続け勝ち残れ
中日新聞

 激闘を制してリオ五輪の切符をつかんだサッカーUー23日本代表。準決勝では出番がなかったが、静岡学園高(静岡市葵区)出身のMF大島僚太選手(二三)が背番号8を着けてチームをけん引してきた。次の焦点は最終代表の座をめぐるチーム内競争。大島選手が勝ち残れば、同校出身者として初の五輪代表となる。
 全国高校サッカー選手権優勝一回、準優勝一回を飾った同校サッカー部元監督の井田勝通さん(七三)は「このまま成長を遂げ、本大会で、静岡学園高初の五輪日本代表になってほしい」と期待する。
 井田さんは一九七二年から二〇〇八年まで静岡学園高の監督を務め、約六十人以上のJリーガーを送り出し、全国にその名をとどろかせた。しかし、静岡学園高出身選手は、最終予選までは日本代表となっても、本大会の五輪日本代表に選出されたことはな
かった。
 大島選手は静岡学園中から静岡学園高に進み、徹底的に技術を磨いた。井田さんは監督退任後も、同校のアドバイザー的な役割を担い大島選手を見守っていたが、「高校二年あたりから、試合の流れを読める良い選手になってきた」と当時を振り返る。
 高校卒業後、抜群の技術を買われてJ1の川崎フロンターレに入団。プロの世界で厳しいレギュラー争いを演ずる大島選手に井田さんは「ドゥンガ(元ブラジル代表主将、元ジュビロ磐田)になれ」とはっぱをかける。
 どちらかというとおとなしい性格の大島選手。井田さんは「嫌われ役となっても、チームの勝利のために、言い続けるリーダーになってほしい」と期待を込める。大島選手も五輪最終予選のサウジアラビア戦では、強烈なミドルシュートで先制点をマークし
たほか、先発を外れた遠藤航選手に代わって、主将マークをつけて攻守に奮闘し、変化の兆しをみせる。
 技術に統率力が加われば、五輪日本代表をぐっと引き寄せる。U-23日本代表で大島選手がつけている背番号8は、磐田時代のドゥンガさんと同じ。司令塔がさらなる飛躍の時期を迎えている。       (川住貴)
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