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平等の思想は大切です。
しかし、平等は、百メートル走をみんなが手をつないでゴールするように、
遅い人に合わせるとか、貧しい人に合わせてしまって、
低いレベルでの平等になってしまいがちであります。
高いレベルでの平等を実現するのは、とっても、とっても難しいのです。
(これができれば苦労はありません。これができないから、大変なのです。)
たとえば、
年収一億の人ばかりをつくりだして、高いレベルでの平等を実現するのは、
とっても難しく、
年収200万円の人ばかりを作り出すのは、
年収の高い人に、高い税金をかければいいだけで、簡単に実現してしまいます。
100メートル走を、みんな平等で11秒で走り切るのは難しく、
しかし、みんな平等に30秒で走ろうとしたなら、別に練習も要りません。
TOEICを、みんな平等で900点を取るのは難しく、
しかし、みんな平等に400点を取るのは、比較的に簡単な話となります。
みんなで、高級車のベンツを平等に所有して乗ろうとしたら、経済的に大変ですが、
しかし、みんな平等に軽自動車に乗るのは、できない話ではありません。
ここで何が言いたいか?
チャンスの平等ならいいのですが、
つまり、平等といっても、結果の平等は、努力がいらない世界になるということです。
がんばった人が、馬鹿を見る世界で、
がんばった人の努力や成果を、公平に社会が認めない世界が、結果の平等の世界です。
がんばって正当にお金を儲けて、貯めても、高い税率で、取られてしまうのは、
ゆきすぎると、その人の才能や努力や成果が報われず、
やる気やモチベーションを下げてしまい、結局、素晴らしい人が出にくくなる社会となってしまいます。
頑張っても、どうせ、頑張らない人と同じとなるなら、頑張る人はいなくなってしまいますよね。
しかし、自由には、チャンスの平等が含まれています。
どの人にも、成功のチャンスが与えられていることが大切で、
それを可能にするには、自由という考えが、とても、とても大切です。
自由だから、素人でも、あたらしく事業にチャレンジできます。
自由だから、英語はまったくダメでも、これから勉強して、TOEICにチャレンジできます。
自由だから、自分で会社をおこして、大きくし、成功して、大震災に義援金を寄付することもできます。
つまり、自由には、チャンスの平等があり、努力してゆける喜びが、保障されているのです。
私たちが、本能的に求めているものは、この自由が保障している「チャンスの平等」であり、
平等な社会を標榜することによって、勘違いしてしまいがちな「結果の平等」、「成果の平等」ではないのです。
これから、政治に必要なものは、
努力してゆく人を大切にし、社会に貢献する人のやる気やモチベーションを大切にする「自由の保障」です。
そして、この自由には、チャンスの平等が含まれていますから、
もちろん、失敗もあると思いますが、
どんどんと、やる気のある人が挑戦して、社会にプラスや価値のあるものを生みだしてゆくのです。
失敗なくして、真の成功はありません。
チャレンジなくして、真の発展はありません。
自由のなかで、発展する人や企業が出てこそ、
大変な人々の救済も可能となります。
結果の平等を強くして、がんばっても報われない社会にすると、頑張る人がいなくなり、
結局、大変な人々を助け、救済する力もなくなってゆきます。
がんばって発展する企業があってこそ、生活保護を受けている人々をも救済してゆくことができます。
自由には、チャンスの平等があり、そして、発展してゆく豊かさがあるのです。
また、自由の一つの形が、私有財産です。
税率が上がりつづけては、自由が、結局、なくなってゆきます。
自由には、選択の自由、創造の自由があって、自由は素晴らしいものを生みだす考えであるのです。
つまり、自由を制限すれば、選択が不自由となり、創造が不自由となって、
社会は衰退してゆくのです。
ですから、日本は、安い税金で小さな政府に大転換して、
(安い税金で、政府がやるべきこと、政府でしかできないことに、集中重点配分する)
個人や企業に残った私有財産有財産を、それぞれが必死に知恵を絞って大切に投資し、
個人や企業が、選択の自由と、創造の自由を思う存分に行使して、発展していってこそ、
素晴らしい未来社会が拓けてゆくと考えております。
菅首相の暴走と無能と保身によって、電力も制限され、税金も上げられ、日本の公海に、堂々と中国海軍があらわれほうだいで、
海外旅行も行けなくなって、
日本国民の自由が損なわれないように、地道に言論と行動にて戦ってまいります。
幸福実現党
ほそかわ幸宏
平等の思想は大切です。
しかし、平等は、百メートル走をみんなが手をつないでゴールするように、
遅い人に合わせるとか、貧しい人に合わせてしまって、
低いレベルでの平等になってしまいがちであります。
高いレベルでの平等を実現するのは、とっても、とっても難しいのです。
(これができれば苦労はありません。これができないから、大変なのです。)
たとえば、
年収一億の人ばかりをつくりだして、高いレベルでの平等を実現するのは、
とっても難しく、
年収200万円の人ばかりを作り出すのは、
年収の高い人に、高い税金をかければいいだけで、簡単に実現してしまいます。
100メートル走を、みんな平等で11秒で走り切るのは難しく、
しかし、みんな平等に30秒で走ろうとしたなら、別に練習も要りません。
TOEICを、みんな平等で900点を取るのは難しく、
しかし、みんな平等に400点を取るのは、比較的に簡単な話となります。
みんなで、高級車のベンツを平等に所有して乗ろうとしたら、経済的に大変ですが、
しかし、みんな平等に軽自動車に乗るのは、できない話ではありません。
ここで何が言いたいか?
チャンスの平等ならいいのですが、
つまり、平等といっても、結果の平等は、努力がいらない世界になるということです。
がんばった人が、馬鹿を見る世界で、
がんばった人の努力や成果を、公平に社会が認めない世界が、結果の平等の世界です。
がんばって正当にお金を儲けて、貯めても、高い税率で、取られてしまうのは、
ゆきすぎると、その人の才能や努力や成果が報われず、
やる気やモチベーションを下げてしまい、結局、素晴らしい人が出にくくなる社会となってしまいます。
頑張っても、どうせ、頑張らない人と同じとなるなら、頑張る人はいなくなってしまいますよね。
しかし、自由には、チャンスの平等が含まれています。
どの人にも、成功のチャンスが与えられていることが大切で、
それを可能にするには、自由という考えが、とても、とても大切です。
自由だから、素人でも、あたらしく事業にチャレンジできます。
自由だから、英語はまったくダメでも、これから勉強して、TOEICにチャレンジできます。
自由だから、自分で会社をおこして、大きくし、成功して、大震災に義援金を寄付することもできます。
つまり、自由には、チャンスの平等があり、努力してゆける喜びが、保障されているのです。
私たちが、本能的に求めているものは、この自由が保障している「チャンスの平等」であり、
平等な社会を標榜することによって、勘違いしてしまいがちな「結果の平等」、「成果の平等」ではないのです。
これから、政治に必要なものは、
努力してゆく人を大切にし、社会に貢献する人のやる気やモチベーションを大切にする「自由の保障」です。
そして、この自由には、チャンスの平等が含まれていますから、
もちろん、失敗もあると思いますが、
どんどんと、やる気のある人が挑戦して、社会にプラスや価値のあるものを生みだしてゆくのです。
失敗なくして、真の成功はありません。
チャレンジなくして、真の発展はありません。
自由のなかで、発展する人や企業が出てこそ、
大変な人々の救済も可能となります。
結果の平等を強くして、がんばっても報われない社会にすると、頑張る人がいなくなり、
結局、大変な人々を助け、救済する力もなくなってゆきます。
がんばって発展する企業があってこそ、生活保護を受けている人々をも救済してゆくことができます。
自由には、チャンスの平等があり、そして、発展してゆく豊かさがあるのです。
また、自由の一つの形が、私有財産です。
税率が上がりつづけては、自由が、結局、なくなってゆきます。
自由には、選択の自由、創造の自由があって、自由は素晴らしいものを生みだす考えであるのです。
つまり、自由を制限すれば、選択が不自由となり、創造が不自由となって、
社会は衰退してゆくのです。
ですから、日本は、安い税金で小さな政府に大転換して、
(安い税金で、政府がやるべきこと、政府でしかできないことに、集中重点配分する)
個人や企業に残った私有財産有財産を、それぞれが必死に知恵を絞って大切に投資し、
個人や企業が、選択の自由と、創造の自由を思う存分に行使して、発展していってこそ、
素晴らしい未来社会が拓けてゆくと考えております。
菅首相の暴走と無能と保身によって、電力も制限され、税金も上げられ、日本の公海に、堂々と中国海軍があらわれほうだいで、
海外旅行も行けなくなって、
日本国民の自由が損なわれないように、地道に言論と行動にて戦ってまいります。
幸福実現党
ほそかわ幸宏