お父さん逝っちゃった、と妹から電話があったのは、
父が倒れてから2ヶ月半くらい経った頃のことだった。

数日前に病院に会いに行った時は、
息は苦しそうだったけど、まだ生気があって、
ベッド脇に集まった私達の
にぎやかな会話を楽しんでる風にも見えたのに、
最期はあまりにも、あっけなかった。

お棺に何か一緒に入れたいモノがあったら持って来てね。

そう言われて私は、
冷凍してあったカレーを保存容器に入れて
持って行った。

父は、私が作るモノは何でも
美味しい美味しいと言って食べてくれた。

小学4年生の調理実習で
生まれて初めて作った「ほうれん草の油炒め」を
家に帰ってから父に作ってあげたら、
とても喜んで美味しいと言って食べてくれて、
それ以来、私は料理が好きになった。

いつだったか、無謀にも、
こんにゃく芋からコンニャクを作ってみたが、
あまりにも薬臭くて捨てようとしたら、
食べられない程まずくはない、と言って
全部食べてくれたことがあった。

嬉しかったけど、
じゃあ、いつも美味しいと言ってるのだって、
本当はたいして美味しくないんじゃないの?とも思った。

離れて暮らすようになって、
特に最近は、顔を見せに帰ることもままならなくなっていたので、
誕生日や父の日に時々、
カレーや、すじ煮込みを作って、送ったりしていた。

父は慣れない携帯メールで、
美味しかったよ、と返事をくれた。

棺の中の父の顔は、
青白いというよりは黄色く、
作り物のように固く冷たかった。

この皮膚の下にはもう血が流れてないんだと思った。

好きなだけ呑んでいいよと言って、
ウィスキーを口に入れたけど、
中に入らず、
溢れてこぼれた。

カレーの容器は、手の下に置いた。
他の、家族の写真や沢山の花のそばで異彩を放っては申し訳ないので、
白い布で隠すように入れた。

わけもなく涙が止まらなかった。

人は何のために生きるのか、とか、
生きてることにどんな意味があるのか、とか、
そういうコトを言う人が居るけれど、

生きてることは、それだけで充分に意味があると思うし、
命は、存在してる、それだけで愛おしいと私は思う。

父の末期は、殆どの臓器が自力で機能せず、
機械に動かされていたけれど、
固くなった肺に呼吸器で無理矢理に酸素を送っていたけれど、

機械の音に合わせて胸が膨らむたびに苦しそうだったけれど、

それでも父の皮膚の下には赤い血が流れていて、
その血が運ぶ酸素や栄養が、身体の隅々の細胞に届いて、
ほんの些細な反撃だったかもしれないけど、

死に、全身で抵抗していたと思う。

そうやって父は、少しでも長く、
私や、母や、妹達が居る、
この世にとどまろうとしてくれてたと思う。

苦しそうな表情を、見ていられない可哀想だと言うのは、
その、命の最期の闘いから目を背ける、
こちら側の世界の勝手な解釈で、

それより何よりまず、有難うだね、と思った。

棺に入れたカレーは、
大騒ぎを起こすこともなく
父の身体と一緒に灰になった。

父の、美味しいと言う声は、私の記憶の中にある。
私が死んで灰になるまで、私の中に居続ける。