※これは2014年8月24日に書いた記事を部分修正したものです。





以前、バラエティー番組「明石家さんまのカマ騒ぎ」のトーク中に、
「オカマと呼ばれるのは嫌だ」という発言があった。
他のほとんどの参加者も同意していた。

司会者が驚いて「でも自分達のことをオカマって言うでしょ?」と聞いたら、
「自分で言うのはイイけど他人に言われるのはスゴく嫌」という答えだった。

私はこの時初めて、オカマは差別用語なんだと実感した。


オカマに限らず差別用語の全て、
また、セクハラやいじめや嫌がらせの全ては、
それを発した本人の意図には関係なく、
言われた人間が不快に感じたり、尊厳を傷つけられたと感じた時に成立する。

「そんなつもりで言ったんじゃない」は通用しない。
どんなつもりだろうが罪は罪という事だ。


ハラスメント対策について紐解くと、
「我慢したり、無視したり、受け流したりしているだけでは、
状況は少しも改善されません。
ことばと態度で、嫌だ、不快だ、という気持ちをはっきりと相手に伝えましょう。
嫌がっていることに行為者が気づいていない場合もあります。」
と書いてある。

にもかかわらず、この問題が厄介なのは、
ひとつひとつの言葉(行為)自体は第三者から見ると微妙なもので、
本人がどんなに辛くても「気にしすぎ」「性格の問題」等々、
周囲にその感情を理解してもらえない所だと思う。

言った本人は気付いてない、
周りの人間にも理解されない、
それでは益々、救われない気持ちになる。



例えば最近では「障害者」という単語も「障がい者」と表記する様に、
(「害」という漢字を使わないように)なって来ている。

「電波障害」や「摂食障害」の様に事象を現す場合は「害」を使うが、
「障がい者支援」の様に人を指す場合は「がい」と、平仮名表記が増えている。

そういう規則があるわけではない。

でも「障害者」という単語を見て嫌な思いをする人が居るのなら、
それは使わないようにしようというのは、社会として正しい判断だと思う。



もちろん当事者の中にも、
そんな細かい事どうでもイイじゃないか、
いちいち気にし過ぎだという人もいらっしゃると思う。

それでも私は、傷つく人が居ると分かった以上は、
差別的な言葉はもう使えないと思うし、また、
未来の傷つくかもしれない人達のためにも、
その単語は無くすべきだと思う。


当事者でない方々にも是非、色々と考えていただきたい。

そしてもし、知らずに使っていた、とか、
そんなに傷つけるとは思ってもみなかった、という人を見かけたら、どうか、
傷つけたかもしれない相手には謝るように勧めて欲しい。


「オカマ」が駄目なら「オカマちゃん」と
「ちゃん」を付ければ和らいで許されるでしょ?みたいな
単純な話ではない。

「私オカマちゃんの友達もいるのよ」等とウソブく奴には、
「差別用語で呼ぶなんて、それは友達じゃないよ」と教えてあげて欲しい。