カツは、2013年5月に両脛骨神経に各1回フェノールブロックを受け、同年8月フェノールブロックを再度実施され、その後から両下肢の疼痛が出現し、激痛のため起立も困難となりました。

諸事情で公開が遅れていましたが、いったい何が起こったのか、今後は詳しく書いていきたいと思います。

今回は、2014年2月にカツが書いた手紙です。
激痛の原因を作った医師とその治療法を弾劾する為に当時の院長に面談を申し込み、その場で読み上げるために手紙を作成しました。説明不十分な箇所もあると思いますが、固有名詞以外は全て原文のまま公開させていただきます。

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「院長殿」

昨年2013年2月の丁度今頃、ボウゲン医師が来て以来この病院は滅茶苦茶です。
病院の方針が180度変わり、我々患者は病院側の余りにも勝手な都合に翻弄されっ放しです。
ボウゲン医師の問題は沢山在り過ぎてキリが無いので極一部だけ申し上げます。

一番最初に僕達がビックリしたのは「俺は "患者様" なんて思わないからな!」と言った事で、これは別に良いんですが、
僕の事を「お前!」と呼び、妻の事を「この女!」と言った事です。
妻がそう言われた時、僕には聞こえなかったので後で知りました。

そもそも「お前!」なんて呼ばれる事は、子供の時なら同級生や先輩には呼ばれましたが、いい大人になってからは両親以外には無いです。
逆に言えば両親だけに許された言い方だと思うので何だか両親を汚(けが)された感じがしました。

当時、僕は大学病院で「ボットクス治療」をして貰ってました。
それがどうやらボウゲン医師の「勘に触った」らしく「ボトックス治療を止めて俺のフェノール治療をしないならココの通院リハビリさせない!」と殆ど脅迫めいた事を言われました。

更にボウゲン医師は「まぁ俺なら治せるけどね!」と言いました。
「藁をも掴む」気持ちの僕達患者にとってこの言葉は「神様のお言葉」でした。
それで僕は喜んでフェノール治療の承諾書にサインしました。
その一言が無かったら当然サインしてません。
今ではサインしてしまった事を物凄く後悔してますけど・・・。

このフェノール治療を拒んだWさんやR君達は追い出されました。

彼等は僕と同じ毎週金曜日のリハビリで一緒になる仲間達で、彼等とは3年前の「病院祭」ではケアマネ、ヘルパー、区役所の職員等のリハビリ病院の外部の人達とリハビリ病院の P.Tさん、O.Tさん達と、内部、外部の垣根を超えて元々調理師のWさんを中心に「中華スープ」の店を出店しました。

この時の様子を撮ったスライド写真を交えて「O.Tの勉強会」でレポートを発表したら「素晴らしい!」と拍手大喝采で中には感動して泣いてた人もいたと聞きました。
ボウゲン医師は全く興味無いでしょうけど、ボウゲン医師が来る前はそう言う「素晴らしい病院」だったのです。
他にも素晴らしい部分が沢山在りました。
今日は、そのほんの一部ですが動画を持参したので、この文を読み終わった後に動画を見て下さい。

その動画に映ってる職員達の殆どはボウゲン医師に追い出されたか退職して今はもういません。
「素晴らしい病院」としてせっかく全国的に注目/有名になりつつ在ったのに、ボウゲン医師が全てぶち壊したのです。
この物凄く長い文をPCで僕が書けるのも、その当時のO.Tさんが色々工夫してくれたのと、他の患者さんの情報のお陰です。

ボウゲン医師が来てからは患者同士の交流は皆無です。
ただただ黙々と「痛い筋トレ」のノルマをこなすだけです。

ボウゲン医師のせいでこの病院は良い部分を全て失いました。
他にもフェノール治療を拒んだが為に追い出された人達は間違い無くいます。



フェノール治療を受け入れた事によってリハビリ時間を増やして貰えたのは良いのですが、ボウゲン医師の診察/面談が最優先でリハビリの最中でもボウゲン医師の腰巾着の看護師さんや他の人に呼びに来られるので、結果的にはリハビリ時間は増えてないです。

これではリハビリに来てるのか診察/面談に来てるのか判らないので、せめてリハビリ後の診察/面談を希望しましたが断わられました。理由はボウゲン医師が早く帰りたいからだそうです。

P.TもO.Tも「何処が違うの?」と思うくらい同じメニューの「痛く成る程やらないと良くならない」と言う「筋トレ」です。違いは精々、起立台の有無くらいでした。

僕は元々P.Tでは「一般のタクシーに乗る」、O.Tでは「普通の箸を使う」訓練を火曜日と金曜日にしていたのにいつの間にか立ち消えにされボウゲン医師が来てからはP.TもO.Tも変わらない「痛く成る程やらないと良くならない」筋トレだけになりました。

「痛く成る程やらないと良くならない」は実際にボウゲン医師の腰巾着のP.Tさんに言われました。

或る人は「そんなのP.Tじゃ無い!何十年も前の "訓練士" だ!」と言ってました。

P.Tが「医師の許可/指示」も無く勝手にやる事は許されず、ましてや何でも仕切りたがるボウゲン医師なので「痛く成る程やらないと良くならない」はボウゲン医師の方針だと思います。

そのせいで昨年2013年8月頃から両足裏の特に右足裏が耐え難い激痛でリハビリが滞っています。
とてもリハビリ所ではなく余りの激痛で夜も眠れません。
激痛のピーク時はボウゲン医師が処方した「ボルタレン」を7~8錠も飲まなければ眠れない日が続きました。
僕が眠れないって事は介護してる妻も眠れないって事です。
「ウトウト」っとすると僕の激痛に叩き起こされて「ボルタレン」を飲ませなければなりません。

その事は「もう一人の腰巾着」看護師さんが知ってます。
「知らない」とは言わせません。
「そんなに飲んだら胃に穴が開くよ!」とかスッピンの妻の顔を見て「奥さんの顔見て大変さが判るわ、いつもはバッチリ化粧してるのに、化粧する気持ちにならないもんねぇ」等と言ってましたから。

以前から顔見知りのTさん(高齢の女性)もフェノール治療を受けたそうですが激痛のあまり座薬を入れないと眠れないそうです。
あまりにも痛いので他の医師に診てもらった所「完治するのに1年以上かかる」と言われたそうです。


僕が割と順調に回復してる時は「他の人を診察/診断する時にはお前を基準にしようと思ってる」とか「お前の症例を学会に発表しようと思ってる」とボウゲン医師は言ってました。

それから極稀に研修生らしき人が来ると得意気に「コイツはK大病院行ってもダメで、TJ大病院行ってもダメで、俺を頼って来た!」と馬鹿気た「自慢のタネ」にされてました。

おまけに「どうだ! TJ大のITB治療より俺のフェノール治療の方が効くだろう?」と有り得ない事を訊かれて返答に困りました。
どこに地雷が埋まってるか分からないのでボウゲン医師の機嫌をとるのは大変でした。

そんな「自慢のタネ」の僕が余りの激痛でリハビリも難しくなると、ボウゲン医師はコロっと態度を変えました。
診察/面談の度に「俺が必ず治してやる!」と言ってたクセに、今年2014年2月現在もボルタレン3~4錠飲まないと激痛で夜も眠れない僕に「サジ」を投げたのか、今度は「制度」のせいにして僕達の「追い出し」にかかりました。

「俺が必ず治してやる!」と言った手前、ボウゲン医師は自分が治せなかった「失敗作の患者」の僕にいつまでも長くいられると困るのでしょう。
それまでボウゲン医師自慢の「フェノール治療」も「痛く成る程やらないと良くならない」と言うリハビリも何もかも、ボウゲン医師の治療の全てに従って来た結果の僕は言わば「生き証人」みたいなものですから。

本当に制度上、致し方ないとしても、未だ完治もしておらずに激痛でリハビリ出来ない状態で休ませておいて「 制度だからハイ! 終了」と言うのはとても納得出来ません。

少しでも良くなろうとリハビリ病院に来てるのに、痛くされて休まされて、今まで出来てた事まで出来なくされるなんて「本末転倒」です。

「終わり良ければ全て良し」と言いますが、終わり悪いのだから僕には「痛くされて追い出された」
印象しか残りません。

この件も、僕達は間違った事を言っているか否か或る人に相談しました。
「君達の言い分はスジが通ってて正しい。病院の上層部にはこの事実を知る義務が在る。思い出したくない事も多々在ると思うが全て院長に話すべきだ!」とのアドバイスを戴きました。

これは「病院の方針だから」とケースワーカーさんにも言われました。
「皆で話し合った結果」だとも言われました。
皆と言うのだから当然、院長も入られていますよね?

ケースワーカーさんは「そんな事情が在るとは知りませんでした」とも言われましたが、ケースワーカーと言う職種に在る人が患者の事情を把握していないなんて、そう言うのは「職務怠慢」と言わざるを得ないと思いますが、如何でしょうか?


今年2014年1月14日(火)の診察/面談で1月一杯で「病院でのリハビリ」は終わりだから「訪問のリハビリ」に来てもらう様にと、ボウゲン医師に言われました。
おまけに「P.T」と「O.T」を週に2回来てもらえと、余りにも実情が分かってない事を言われました。
そんなに簡単に見付からない事を全く知らない発言だと呆れました。

先日、僕のケアマネが「とは言ってもアノ先生のお陰で歩ける様になった人もいるらしいし」と言ってましたが、僕はそれは真っ赤なウソだと思ってます。
そんな人がいたとしてもそれは当人の努力だと思います。

そしてそれはボウゲン医師が「俺が治してやった!」と自分で吹聴してるからだとも思います。
ボウゲン医師は何でもスグ「俺のお陰」と言いますから。
少なくとも僕の知人には激痛で眠れなくなった人しかいません。


1月14日(火)の診察/面談でも僕の担当P.Tさん、O.Tさん、ケースワーカーさん達をわざわざ呼び出して「俺は結構貢献したろ? 俺のお陰で両腕も上がる様になったし、最初は電動だったのに今は手動の車椅子を動かせる様になったじゃないか」と自慢話が始まりました。
その時の様子はその場にいた「腰巾着」の看護師さんも見てます。

だけど僕の両腕は元々上がりましたし、病院に来る時は電動だったけど家では手動に乗ってたので元々動かせました。
病院に電動で行くとボウゲン医師が不機嫌になってイヤミを言うので、手動で行く様にしただけです。
それを端から見れば「カツさんが手動の車椅子を動かしてる! やっぱりボウゲン先生は凄い!」となるのです。
何となく今までもそうやって色んな病院を渡り歩いてきたんだろうなぁと思います。


リハビリは1月一杯で終了と言われましたが、その時はまだ僕の主治医だったので診察/面談は続いてました。
2月4日の診察/面談の前日、ケースワーカーさんから電話が来た時に「院長と話したい」と伝えました。
当日の診察/面談が始まる前も病院のロビーで出くわした際にまた伝えると「それは今日の面談次第による」と言われたので「面談とは別件で院長と話したい」と伝えました。

それがどうボウゲン医師に伝わったのか判りませんが、面談の時の狼狽振りは追い出された皆さんに見せたい程でした。
1月14日(火)の面談で言った事と180度違ってて、相変わらず呆れる発言ばかりでした。

僕達はただ「院長と話しがしたい」と言っただけで、話す内容なんて一切言ってないのにボウゲン医師は
「俺はお前達を見捨てた訳じゃない! いつでも戻って来て良いと言ったじゃないか! だから追い出したんじゃない!」と言い、まるで自分がした事を白状した様な物でした。

何から何まで自分が仕切るくせに「でもO.Tさんには "1月一杯で終わりだからこの書類にサインして下さい" と執拗に迫られましたよ」と言うと「俺はそんな事言ってない!」と責任逃れしました。

このOTさんは「サラリーマン気質」丸出しで上司の命令がないと何も出来ない人なので、
この人の独断でやる事は絶対無いです。ボウゲン医師に「サイン貰って来い!」と言われたに決まってます。

とにかく僕達が色々言っても全て「俺はそんな事言ってない!」の一点張りでした。
そして「3月一杯までは今まで通り病院が面倒看て、4月は他所のデイサービスに行って、5月からまた戻れる様に俺が約束する」と言いました。

それと何かと「何でも俺に相談する様に!」と連呼してました。
余程、院長と話しされたくないのでしょう。
あれだけ威張り散らしてたボウゲン医師も所詮は只のサラリーマンだった様です。
よくドラマに出て来る「嫌な上司」そのものでした。
下の人には無理難題を押し付けて威張り散らすくせに、自分より立場が上の人には凄く弱い。
だったら最初から威張らなきゃ良いのにと思いました。

「3月一杯までは今まで通りで、4月は他所のデイサービスに行って、5月からまた戻れる」と決まったので「院長と話す件はもういいですね?」とケースワーカーさんに言われました。でも「今日の件とは別の件で院長と話したい」と伝えました。

院長とのアポの窓口はケースワーカーさんですが、実際には院長と話しさせない様にしてるのか、今回の「面談」のアポも余り積極的では無かったです。
何か言われちゃマズイ事でも在るのでしょうか?



この病院で知り合った「脊髄損傷」だけど上半身は健常者のTさんは、ボウゲン医師に「お前みたいな中途半端な障害者」と言われたそうです。
この人も「フェノール治療」をして「痛い筋トレ」をさせられ、僕と同じく「眠れない程の激痛」にされた挙げ句に、終了と言われて追い出されました。

同じくこの病院で知り合った、殆ど生まれ付きの「脳性麻痺」のIZさんは「あんたはリハビリしても無駄」と言われ追い出されました。
本人は「外出の機会が無くなった」「ストレッチして貰う機会も無くなったから身体が強張る一方だ」と言ってました。

また、ご高齢で「多発性硬化症」のOさんは、それまでは安心して入退院されてましたが、ボウゲン医師が来てからは入院するのに凄く嫌な思いをさせられて、おまけにボウゲン医師は病棟まで担当してて毎朝の回診にはウンザリだった様で、Oさんは「もうここには二度と入院しない!」と言ってました。
なのでOさんと会う事はもう二度と出来ないでしょう。

全て本人達から聞いた話しです。

ボウゲン医師は脳に障害が在ったりしないのでしょうか?
逆にそうじゃなきゃ納得出来ない性格の悪さだと思います。

この他にも追い出された人を沢山知っています。

追い出されたNY君が次ぎに行ったリハビリ施設でも既にボウゲン医師の悪行は有名で「病院潰し屋」とか「死神」とか言われてるそうです。
そう言う大切な事を雇い入れる前に、なぜ病院は調べなかったんですかねぇ?

先週2月18日の火曜日に通院する前はボウゲン医師が非常勤になったと聞いたのでかなり期待してましたが、実際に病院に行ってみると相変わらずP.TもO.Tも「筋トレ」ばかりしてましたし、「腰巾着」のP.Tさんが偉そうに患者さんに説教してました。
ロビーは「シーン」と静まり返ってました。
相変わらずのその光景に愕然としました。

ボウゲン医師が来る前、あのロビーはデイの高齢者達で賑わっていました。
気の毒にココにしか行き場が無い高齢者もいるだろうに、今はまるで隠すみたいに奥の部屋へ追いやられています。

その部屋は元々O.Tのリハビリ室でした。
「だから台所や風呂場のシミュレーターが在るんだ」と思っています。
前述の元々調理師のWさんが「料理教室」を開催してたのもその部屋です。
もっとも今の「筋トレ」だけのO.Tには「台所」も「風呂場」も必要無いですけど。

凄く疑問なのが「アルバイト医師が何故リハビリ方針を決めてるのか?」って事です。
それともう一つ疑問なのが「アルバイト医師が何故未だに病院を牛耳っているのか?」って事です。

非常勤と言えばアルバイトと同じなのだから、そんなアルバイト医師がいつまでも僕の主治医である事に不満を感じていました。
要するにアルバイト医師なんかにいつまでも威張られたくないのです。
今までだってボウゲン医師には散々酷い事を言われて威張られて来たのですから・・・。



ボウゲン医師が僕に貢献した唯一の事は、この物凄く長い手紙を書かせた事です。
充分自主トレになりました。

ボウゲン医師の問題はほんの一例だけでもこんなにも沢山在ります。
他にケースワーカーさんや O.Tさん、PTさんの問題も山ほど在りますが、益々長くなってしまうので今回はボウゲン医師の問題に絞りました。

因みに便宜上「ボウゲン医師」と言ってますが我が家では「ジジイ」とか「死神」と言ってます。
皆も影ではそう言ってます。
「先生」だなんて、尊敬の念を込めて呼んでる人は誰もいません。
「腰巾着」の人達や取り巻きの業者の人達以外で、ボウゲン医師の事を心良く思ってる人はこの病院にはただの1人もいません。


前述の通りボウゲン医師が来る前は本当に「素晴らしい病院」でしたが、今は「最悪な病院」に成り下がってしまいました。
今回、この院長との面談で僕が最も言いたい事は、直ちにボウゲン医師を解雇して元の「素晴らしい病院」に戻して頂きたい、と言う事です。
僕達は前院長先生が戻って来られる事を切望して止みません。
そう思ってる人は他にも沢山いると思います。
これ以上、地域の障害者や高齢者を路頭に迷わすのは止めて欲しいのです。


しかし「地域の障害者や高齢者を路頭に迷わす事が院長/病院の方針!」と言われるのなら僕達は何も言う事が在りません。


長々大変失礼しました。