昨日8/7(火)は急に涼しくなったからか、

浅草の寺院街の宵闇に、スズムシの音(ね、鳴き声)が鳴り響いていた。

 

 

 

<追記1>

 

さっき急に羽音ブンブン---私のLEDに近づいた虫。セミかなと見るとカナブン。嵐(台風13号)が最接近して来たので緊急避難して来たか(笑)。妻が目を覚まして騒ぐだろうからと、捕まえて外にお帰り頂いた。

20180808  23:01

 

 

<追記2>

台風13号が関東に最接近中!! 上陸は免れた。

進路予想20180809  02:00






東京医科歯科大学/難治疾患研究所/名誉教授の角田(つのだ)忠信氏が、32年前に、

日本人の脳と他民族の脳の相違点を追究した、「脳の発見 脳の中の小宇宙」(大修館書店1985年刊)で、

ロマンのあるノンフィクションとして新潮・日本文学大賞(学芸部門)を受賞した。

 

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■ 角田説

 

 

 

関連資料 
日本人の音意識(1988)
虫の鳴き声を「声」と認識するのは日本人とポリネシア人だけだった(2017/01/10)

 


日本人と太平洋上のポリネシアンは、虫や動物の声を左脳=言語脳で処理する(言葉のように意味有るものとして聞く)のに対して、中国人・朝鮮人・欧米人など世界の他民族たちは、右脳=音楽脳で処理する。
一方、欧米人たちは母音を右脳=音楽脳で処理するのに対して、日本人は左脳=言語脳で処理する。

つまり、英語では、母音の役割はあまり重要でなく母音を全部消してしまっても、子音だけで意味が十分に理解できる。

しかし、日本語は母音で言葉を形成する部分が大きく、母音がそれぞれ意味を持っている。

そして、このようなことは、日本人が母音を左脳=言語脳で処理する由縁なのである。
このことから、虫や動物の声は母音に非常に似ているので、日本人はこれらの音を左脳=言語脳で聞いている。

日本語の母音の特質が原点にあって、虫の音も自然音も左脳=言語脳で聞いている。
笛・琵琶・三味線・尺八など伝統的な和楽器を、日本人は左脳=言語脳で聞き、欧米人は右脳=音楽脳で聞いている。
しかし、フルート・バイオリン・クラリネットなど洋楽器の場合には、日本人でも右脳=音楽脳で聞いている。

かくして、日本民族は永年に亘り母音文化を育てて来たのだ。

 

 

 

 

 

 

 

角田氏の仮説が正しいかどうかは、検証に至っていないが、

 

ポリネシアンそして日本人のルーツを解明する努力は続けられている。

 

その一環で検証されるに違いない。

 

以下、まとまりはないが、関連資料を添付したい。




■ ポリネシアン(ポリネシア人)のルーツ


居住領域・・・米国ハワイ州、米領ミッドウェー/米領サモア、仏領ポリネシア、ニュージーランド国アオテアロア、トンガ王国、キリバス国、サモア国、ツバル国、英領クック、チリ領ラパ・ヌイ(イースター)。
モンゴロイド系民族のオーストロネシア語族・・・台湾人、フィリピン人、インドネシア人、マレー(インドシナ)人、マダガスカル人。
原ポリネシア人は、台湾/華南に定住していた。

 

新石器時代(紀元前8,500~紀元前4,000年)

 

銅器時代(紀元前4,000~紀元前3,000年)、人口増加により移住を余儀なくされ、
人類史上初めて遠洋航海を実践し、南太平洋の島々に移住して行った。
航海範囲は東はイースター島、北はハワイ諸島に至る広大なエリアに及び、「新石器時代のバイキング」とも呼ばれる。


青銅器時代(紀元前3,500年~紀元前1,500年)


鉄器時代(紀元前3,000年~)の紀元前2500年、一部が南下し、フィリピンに到着。

 

紀元前2000年、さらに南下しインドネシアに到達。ここからニューギニア/メラネシアへと東進。オーストラロイド系のパプア先住民と混血し、「ラピタ人」の始祖となる。

 

紀元前1100年、フィジー諸島に到達。
紀元前950年、ポリネシアへ移住。ポリネシア/サモア/トンガから「ラピタ土器」が出土。この文化が「ラピタ文化」と呼ばれ、「ポリネシア文化」の源流とする考えが有力である。「ラピタ人」の東への移住の動きは一旦止まる。
紀元後100年、東への移住を再開。300年、ポリネシア人たちはカタマランやアウトリガーカヌーを用い、エリス諸島/マルキーズ諸島/ソシエテ諸島などイースター島に移住。400年、ハワイ諸島に移住。1000年、クック諸島やニュージーランドに移住。


太平洋各地に拡散したのちも、高度な航法技術ウェイファインディング(スターナビゲーション)によって互いに往来が行われていた。


 

 

■ 日本人のルーツ

 

 

リブログ

 

 

ホモ・サピエンスが、アフリカを出て世界中に広がり始めたのは8~5万年前。
その途中、最も選択が難しかった場所の一つが日本列島だった。
極寒の大地か大海原か、どちらかの場所を選択しなければならなかった。先祖様はどのようにしてその障壁を越えたのか。最新の研究でホモ・サピエンスだけが持っていた或る能力が決め手になったと分かった。その能力こそ地球の隅々まで広がった原動力だった。


ご先祖様が辿った太古の旅へと出発しよう。
最初にアフリカを出たとされるのはホモ・エレクトス。そしてネアンデルタール人の祖先。

ネアンデルタール人は南ヨーロッパ~南西アジア~中央アジア。
ホモ・エレクトスは南ヨーロッパ~南アジア~南東アジア(ジャワ原人・北京原人)・・・シベリア(極寒)や極東アジア(大海原)へと来ることができなかった。
 

この極寒の大地や大海原をホモ・サピエンスだけは乗り越えられた。


なぜ日本列島に到達できたのか。その謎を解けば繁栄の理由が分かる。
南の方からやって来た初期の人たちの痕跡が最近分かって来た。
石垣島・白保竿根田原洞穴遺跡・・・新空港建設のため地質調査を行ったところ、とんでもないものが見つかった。19体もの人骨。

2万7千~2万年前の白保人。外耳道骨腫(サファーズ・イヤー)・・・海女やサーファーの証拠。DNAは現代の東南アジア人。
3万年前の東南アジアは現在の海岸線よりも80m程低い、「スンダーランド」と呼ばれる広大な陸地。ホモ・サピエンスの遺跡(一大文化圏)が相次いで発見されている。南ヨーロッパ(ラスコー洞窟・ショーヴェ洞窟)で発展したと考えられて来た、従来の人類進化説を覆す発見。インドネシア・ティンプセン洞窟・・・世界最古の手形(3万9900年前)、イノシシ・魚・イカなど獲物を祈願する絵。


当時は陸続きだった台湾・八仙洞遺跡・・・3万年前の石器が多く出土。台湾から日本列島へと渡って来たと考えるのが自然。

しかし最も近い(太陽が昇る)与那国島までは110kmの距離。どう渡って来たのか。世界最大級の海流・黒潮が障壁となる。どうやって黒潮を越えたのかが分かれば、ホモ・サピエンスが世界に拡散できたという謎が1つ解ける。
実験考古学では、貝製の刃で刈り取ったヒメガマなどの水生植物を締めて固めた舟を作製。当時の出生率・寿命などを勘案し、5組の夫婦(10人の男女)が最低限生き残るために必要と仮定した。先ず、与那国島から西表島へ渡ろうとしたが、黒潮に北へと流されて断念。次に竹舟を作製して挑んだが黒潮に打ち勝つスピードが得られず断念。

オーストラリア・マジェベベ遺跡・・・世界最古の石斧と括り付けた木の柄(打撃力10倍アップ)⇒丸木舟の作製(圧倒的な推進力の獲得)によって黒潮の流れを克服。
 

北の方からやって来た初期の人たちの痕跡はどうか。
シベリアのストゥデョノエ2遺跡、当時は陸続きだった北海道。千歳市・柏台1遺跡・・・2万5千年前の石器・細石刃(さいせきじん)。
当時の地球は氷河期の真っ只中だったが、極北にはマンモスなど巨大動物が多く生息していた。
極寒の地で生きることを可能にした道具とは。マイナス40℃の北極圏ロシア・ヤナRHS遺跡でロシア科学アカデミー: ウラジミル・ピトゥルコ博士が発見。
夥(おびただ)しい数のマンモスの骨、装飾品の中に、動物の骨で作られたケースに収められた縫い針(マンモスの骨などで作製)、精巧な防寒着・・・現代のエヴァンキ族に継承。


道具作りと言語が脳の近い活動領域・ブローカ野と判明。目標に向かって順序立てて考えるという点で似た構造を持ち、共に進化して来た。
ホモ・サピエンスほどネアンデルタール人は複雑な言語と道具を持てなかった。縫い針や狩りの飛び道具・アトラトル。
(縫い針による)極寒と(石斧による)海流の克服。~北米から南米の南端まで到達。~千年前までにハワイなど南太平洋の島々にも到達。

 

 

*

 

 

関連ブログ
地球生物の歴史、人類の進化、日本人のルーツ <レビュー>(2014-08-15)

 

 

日本人の起源(ルーツ)は、従来、特定ルートからやって来た、均一な「縄文人」、即ち、東南アジアから北上して来た「縄文人」の純血とされていた。
しかし、近年では、大陸から渡った来た「弥生人」との混血であるというのが有力となっている。その考え方は、遺跡から見つかった化石人骨の、「ミトコンドリアDNA」を鑑定する方法によって、次第に解明されている。
人間の細胞内のミトコンドリアには、蛋白質(アミノ酸)から成る遺伝子情報=DNA(ゲノム)が詰まっている。「ミトコンドリアDNA」は母性遺伝であり、母系でのみ子孫に伝えられる。


6万年前
アフリカから海を渡り、東南アジアの「スンダーランド」に辿り着く。
氷河期で海面が約120mも低かったインドネシアは、現在のような島の点在では無く、大きな陸地「スンダーランド」だった。
更に、そこからオセアニアヘと渡った。
彼らは、旧石器時代の剥片尖頭(はくへんせんとう)石器文化を形成する。


4万〜3万2千年前
地球が間氷期の温暖化に入って海面が上昇し、
それまで陸続きだった「スンダーランド」は、現在のような島の点在となり、人々は海洋漂流民となって、
日本列島へと北上し、沖縄〜九州に辿り着く・・・4万年前の宮崎県後牟田(うしろむた)遺跡。更に黒潮に乗って関東に移住している・・・3万2千年前の小金井市中山谷(なかざんや)遺跡からは伊豆諸島・神津島産の黒曜石を使用した旧石器類が発見されている。


「港川人」・・・1万8千年前 (紀元前16,000年)
沖縄島八重瀬町港川の石灰岩フィッシャー(裂け目)から、後期旧石器時代の化石人骨が発見された。
ヨーロッパに分布する「クロマニョン人」等と同じく、「ホモサピエンス」であり、従来発見されて来た縄文人(がっしりとした上半身)とは別系統である(きしゃな上半身)。


「縄文人」・・・2万7千〜1万年前 (紀元前25,000年~紀元前8,000年)
ミトコンドリアDNAの解析によって、「縄文人」は、「港川人」とは別系統であることが分かるとともに、従来の骨格均一説を否定する。
かつ、「縄文人」のDNAは、複数のルーツを持ち、各地域の環境要因によって突然変異を繰り返したのである。
 

北方ルートの「縄文人」 
氷河時代の厳寒期には、海面の水位が下がり、大陸と陸続き、あるいは季節によって陸橋化しており、シベリア〜東北アジアからマンモスを追って移動して来た。
北海道〜東北の「縄文人」先住民の多くは、このように北方起源のDNAを持つ。尚、関東以西では少数。
北海道白滝遺跡からは、旧石器時代終期(中石器時代とも言う)の特徴である、黒曜石の楔形(くさびがた)細石刃核(さいせきじんかく)という打製石器が出土された。 


南方ルートの「縄文人」 
「港川人」もしくはそれ以前とは別系統の「縄文人」もまた、東南アジア方面から島伝いに北上して日本列島に辿り着き、九州以北に定着した遺跡は従来より多数在る。
同時期の遺跡は見つかっていないが、それより後年のベトナム・ハンチョウ洞窟には「縄文人」のDNAを持つ化石人骨は出土している。
また、「縄文人」は、海面の水位が下がって陸続きだった、朝鮮半島南部と往来していた。朝鮮・龍湖洞(ヨンホドン)からは、共通の特徴である外耳道骨腫(潜水による後天的な突然変異)の化石人骨や、日本の佐賀県産の黒曜石を使った剥片尖頭石器も見つかっている。


そして後に、日本列島を北上し、北方ルートの「縄文人」と混合して行った。


「弥生人」・・・3千〜2.3千年前 (紀元前2,800年~紀元前2,100年) 
2万9千〜2万2千年前から始まった日本列島の大規模な噴火は、果てしなく続き、この時期の「縄文人」の大多数が死滅し、また各地へと霧散したと考えられている。
生き残って来た、あるいは戻って来た東南アジア系の「縄文人」の日本列島に、東北アジア系の、所謂(いわゆる)、渡来系と言われる「弥生人」が、朝鮮半島を経て恐らく数十万人規模で大移動して来た。


先住民の「縄文人」は、一部には、南北の辺境に追いやられて琉球人やアイヌ人となっているが、多くは、平和裡(り)に次第に混血して現在に至っている。
ミトコンドリアDNAで解析すると、縄文人の7a,N9bは1割に過ぎぬが、弥生人のD4,N9a,Z,Cの4種合計で4割に達する。