シャッセルとアドルフェスは、アデンの動向を見守っていた。が、明け方近くにとうとう、その寒さに震えてアデンは自分のテントに戻り、彼らは無言のまま、テント近くに居を移して、その場を見張り続けた。
陽は直に、昇った。
明け方の朝焼けを背に、その一行が野営地を訪れた時、アデンが兵のざわめきを耳にし、慌ててテントからその姿を、現した。
着替えもせずに仮眠を取っていたようで、彼は櫛の通らない乱れた髪のまま、その騒ぎに、出向いて行った。
が、馬上のその姿を見ると驚愕に目を見開き、その男に見つかる前に、こっそり兵の頭にその姿を隠して、テントに戻った。
そして、次にテントが開いた時、アデンはいかにも逃げ出す様子で身の回りの物を携え、繋がれた馬のほうへと、足早に、歩いて行く。
手綱を取り、馬に乗ろうとして、その馬の轡を誰かに、掴まれた。
背後にも、気配を感じる。
轡を掴んだのはシャッセルで、背後に居たのは、アドルフェスだった。
「・・・使者を、出迎えるご用を、すっぽかすおつもりじゃあ、ありませんよね?」
黒髪の、体躯の立派なアドルフェスに凄まれて、アデンは心外だと言う顔で怒り狂った。
「・・・お前に何の、権限がある!」
だが、いつもそれは静かなたたずまいのシャッセルが、乱暴に彼の腕を掴み捕らえ、もう片方をアドルフェスに掴まれて、アデンは顔色を、変えた。
「・・・何の権限があって私に乱暴を働く・・・!
お前達!こんな事をしてただですむと、思っているのか・・・!」
だが、騒ぐ彼の前迄、馬に乗ったその使者は、取り巻く兵達を引き連れてやって来た。
ファントレイユが、王子のテントから姿を出してその馬上の人物を見つめ、思わず、つぶやいた。
「・・・・・・・・・アイリス・・・・・・!」
それは彼の、叔父の名だった。
馬上のその人物は、整った顔立ちの上に優雅な微笑を浮かべ、濃い栗毛を朝日の中艶やかになびかせて、濃紺のマントを纏い、それは柔らかに、彼に笑って見せた。
「・・・ファントレイユ。無事を確信しては居たが、それは心配していた。
・・・何しろ君ときたら、ギデオンの側に居る時は、無茶ばかりする」
濃紺の、輝く瞳に、瞳の色よりほんの少し明るい群青の上着とマントを付け、馬上よりそうファントレイユに、挨拶をし、彼の隣に姿を現した王子に、優雅な仕草で上着と同色の帽子を脱いで、軽く会釈をし、礼を取った。
マントレンは彼の事を知っていたが、フェリシテとソルジェニーは、初めて目にするファントレイユの叔父が、彼以上に、それは優雅で余裕の溢れる様子につい、二人揃って感嘆のため息を漏らした。
彼は、大変巧みに手綱を操りながら、馬上よりアドルフェスとシャッセルに腕を捕らわれたアデンを見つめ、悪戯っぽく、微笑んで見せた。
「・・・アデン准将。こんな早朝に、お出かけですか?」
アデンはその男を見て、完全に心の平衝を、欠いた様子で叫んだ。
「・・・アイリス・・・・・・・・・・・・!なぜ貴様がここに顔を出す!
この男達に私を拉致するよう命じたのも、お前の差し金か?!」
アデンの睨みは凄まじかったが、アイリスは全く動じる気配は無かった。
「・・・指揮官が、指揮すべき兵を置いて野営地から逃亡したとあれば、拉致するのに私の命令等必要ないと思うが・・・」
彼らを取り巻いていた兵達が、それを聞いて一斉に、ざわめいた。
アデンの、顔が歪んだ。
「と・・・・・・逃亡等、しておらぬわ!」
アイリスは、その端正な顔に僅かに微笑を浮かべ、素っ気なく言った。
「・・・それはこれから、ゆっくりと話すとしましょうか・・・」
そして彼は、シャッセルとアドルフェスに頷いて、アデンを連行させた。
シャッセルとアドルフェスは、馬から降りるアイリスの横にアデンを、連れて来る。
アイリスは辺りを見回し、
「・・・さて、どこならいいかな?」
とつぶやく。
ソルジェニーはすかさずファントレイユの隣から一歩踏みだし、申し出た。
「場所をお探しなら、私のテントで構いません」
アイリスは、ファントレイユの横に立つ、少女のような容貌の王子の、真っ直ぐな青い瞳を見ると、それは人好きのする柔らかな微笑を浮かべ、にっこりと微笑んで言った。
「お言葉に、甘えるとしましょう」
彼はシャッセルとアドルフェスに振り向くと、彼らに微笑んで、促した。
彼らはアデンを、引っ立てて王子のテントに姿を、消す。
彼らが消えた後、兵達が大いに困惑にざわめき、アイリスに付き従っていた男の一人が、彼らに言った。
「・・・ここは私の部下が見張る。君達は持ち場に、戻りたまえ・・・!
・・・朝食の、支度をしなくていいのか?」
真被りにしていた帽子を取り払った、金髪で長身のその男を、兵の数人が見知っていて、慌てて皆を急かして、その場を散り、支度をするよう告げた。
その兵の内の一人が、その男に声を、掛けた。
「・・・ギュンター中央護衛連隊長。一体、何事です?
ギデオン准将も、夜襲を命じられたきり姿を、見ないが・・・・・・」
ギュンターと呼ばれた、その長身のそれはしなやかな動作の男は、彼につぶやいた。
「・・・直に正式指令が下る。
何も心配はいらない」
訊ねた男はギュンターを見たが、彼とアイリスが登場した以上、それは本当だと、納得した様子だった。
一つ、頷くと言った。
「・・・では勿論、ギデオン准将の事も?」
ギュンターが頷き、男は、その返答で笑顔になった。
兵達皆が、ギデオン准将が、夜襲を命じられたきり戻らないと、心落ち着く様子も見せずにずっと夜通し、自分も含めてわそわし続けていたからだった。
ギュンターは手袋を脱ぐと自分の部下達に、王子のテント周辺を、見張るように告げて、テントの中へと、入って行った。
つづく。