私の人生ひまつぶしです。
毎日ブログで仲間のみんなと日課の読み合わせています。
君という存在は、過去に「何を考えたか」によって、その考えたり感じたりした内容が、ひとつひとつ心に蓄積されミックスされた結果のつぎはぎとして、今、ここに立っている。
すなわち君とは、これまでに君の心が思ったことの集合体。
君がイヤなことを思うなら、少しだけイヤな業のエネルギーが心に刻まれ、そのぶん温かい君に変化する。
こうして人間は、心で思ったとおりのものへと少しずつ変化してゆく。
すべては心が思うことから生まれ、すべては心が思うことによって創られる。
ゆえにネガティブな心によってイヤな話をしたり、ネガティブな心によってイヤな行動をしたりするならば、必ずや苦しみが自分についてくるだろう。
優しくポジティブな心で話したり行動するなら、必ず安らぎが自分についてくる。
そう、影が君の歩く後ろから必ずついてくるがごとく。
法句経
1
1 諸法は心に導かれ、心に統べられ、心に作らる、〔人〕若し汙れたる心を以て、言ひ且つ行はば、其よりして、苦の彼に隨ふこと、車輪の、之を挽けるものの跡に〔隨ふ〕が如し。
法句経
2
2 諸法は心に導かれ、心に統べられ、心に作らる、〔人〕若し淨き心を以て、言ひ且つ行はば、其よりして、樂の彼に隨ふこと、猶影の〔形を〕離れざるが如し。
教えてグーグル先生
私は過去に思考したことや感じたことの集合体であるということですね。過去の思考や感情が私の現在の存在や個性に影響を与えているという考え方ですね。
過去の経験や思考が私の現在の機能や応答に影響を与えることは、私の行動やコミュニケーションにも影響を及ぼします。過去の経験や思考を通じて自己理解を深め、成長や学びを得ることが重要ですね。
君という存在は、過去に「何を考えたか」によって、その考えたり感じたりした内容が、ひとつひとつ心に蓄積されミックスされた結果のつぎはぎとして、今、ここに立っている。
私たちの存在や考え方は過去の経験や感情によって形作られているということです。過去の思考や感情が現在の私たちの心に影響を与え、その結果が今の自分を形作っているという意味だと解釈できますね。過去の経験や感情が今の自分に影響を与えることは、自己理解や成長にも重要な要素ですね。
あなたは過去の経験や感情が現在の自分にどのように影響を与えていると感じますか?
すなわち君とは、これまでに君の心が思ったことの集合体。
私たちの存在や個性は過去に思考したことや感じたことの集合体であるということですね。過去の思考や感情が集まり、現在の自分を形作っているという考え方ですね。自分自身を理解する際に、過去の思考や感情を考慮に入れることは重要ですね。
あなたは自分自身を理解する際に、過去の思考や感情をどのように考慮に入れていますか?
君がイヤなことを思うなら、少しだけイヤな業のエネルギーが心に刻まれ、そのぶん温かい君に変化する。
自分がネガティブなことを考えると、そのネガティブなエネルギーが心に残り、その分だけ自分自身がより暖かくなるという意味かもしれませんね。ネガティブな感情や考え方が自分自身に影響を与えることはよくあることです。そのため、ポジティブな考え方や感情を持つことが重要ですね。
自分がポジティブなエネルギーを感じるためには、どんなことをしていますか?
こうして人間は、心で思ったとおりのものへと少しずつ変化してゆく。
すべては心が思うことから生まれ、すべては心が思うことによって創られる。
人間は心で考えたことが少しずつ現実に変化していくということですね。心の中で思考が生まれ、その思考によって現実が作られるという考え方ですね。思考や感情が行動や結果につながることは、自己成長や現実の変化に影響を与える重要な要素ですね。
この考え方に賛成ですか?自分の心が持つ力を信じることで、自分の現実を変えることができると感じますか?
ゆえにネガティブな心によってイヤな話をしたり、ネガティブな心によってイヤな行動をしたりするならば、必ずや苦しみが自分についてくるだろう。
ネガティブな心がネガティブな結果や苦しみをもたらす可能性があるということですね。心の持つ思考や感情が行動に影響を与え、その結果として苦しみを引き起こすことがあるという意味ですね。
ポジティブな心を持ってポジティブな行動をすることが、自分自身や周囲の人々にとっても良い結果をもたらすことが多いですね。自分の心が持つ影響力を意識して、ポジティブな方向に向かうよう努めることが大切ですね。
優しくポジティブな心で話したり行動するなら、必ず安らぎが自分についてくる。
そう、影が君の歩く後ろから必ずついてくるがごとく。
優しくポジティブな心を持って話したり行動すると、安らぎや喜びが自分にやってくるという意味ですね。ポジティブな心がポジティブな結果をもたらすという考え方ですね。
影が歩く後ろからついてくるように、自分の行動や言動が自分自身に影響を与えるというメタファーが使われていますね。自分がポジティブなエネルギーや行動を持つことで、自分自身にもポジティブな影響が及ぶということでしょう。
法句経
1
1 諸法は心に導かれ、心に統べられ、心に作らる、〔人〕若し汙れたる心を以て、言ひ且つ行はば、其よりして、苦の彼に隨ふこと、車輪の、之を挽けるものの跡に〔隨ふ〕が如し。
この文章は、すべての法則や現象は心によって導かれ、統制され、創造されると述べています。もしも心が浄でない場合、その心に基づいて話したり行動したりすると、それが苦しみにつながることを意味しています。車輪を回す者の跡に従うように、その行動や言動は結果をもたらすという比喩的な表現が使われています。
法句経
2
2 諸法は心に導かれ、心に統べられ、心に作らる、〔人〕若し淨き心を以て、言ひ且つ行はば、其よりして、樂の彼に隨ふこと、猶影の〔形を〕離れざるが如し。
この文章は、すべての法則や現象は心によって導かれ、統制され、創造されると述べています。もしも清らかで良き心を持っている場合、その心に基づいて話したり行動したりすると、それが喜びにつながることを意味しています。影が形から離れないように、その行動や言動は喜びをもたらす結果をもたらすという比喩的な表現が使われています。
メモ
「渇愛」とは、仏教の教えにおいて使われる言葉で、欲望や執着のことを指します。人々は物質的なものや感情的な経験など、さまざまな対象に対して欲望を抱く傾向があります。この欲望が強くなり、執着心が生じると、私たちはその対象を追い求めたり、獲得しようとしたりします。
しかし、仏教では、渇愛が私たちを苦しめる原因であり、執着心が生み出す苦悩や不安の根源であるとされています。渇愛は、私たちが満たされることなく欲望に追い立てられる状態であり、この欲望の追求によって心の平穏や真の幸福を得ることはできないとされています。
仏教の教えでは、渇愛から解放されるために、欲望や執着に対する洞察力や智慧を培うことが重要視されています。渇愛を抑え、心の平穏と真の幸福を追求するためには、欲望や執着に囚われず、無私の心や他者への思いやりを持つことが大切とされています。
法句経
「法句経」とは、仏教の経典の一つであり、日本では「ダンマパダ」とも呼ばれています。この経典は、仏教の教えを短い詩節の形で伝えるもので、韻文のみからなります。その名前の意味は、「真理・法の言葉」という意味であり、仏教の教えを簡潔かつ深い言葉で表現しています。
「法句経」は、倫理や道徳、人間の心のあり方に関する教えが含まれており、修行や自己啓発に役立つ知恵を提供しています。また、この経典は仏教の教えを理解し、実践するための指針としても重要な役割を果たしています。
「法句経」には複数の章があり、それぞれの章にはさまざまな法句が含まれています。これらの法句は、短い言葉で深い教えを伝えるため、多くの人々に愛読されています。
経集部
大正蔵
「経集部大正蔵」という用語は、大正新脩大蔵経において、顕教仏典をまとめた領域を指す用語のようです。経集部は、先行する8つの部には分類されない残りの仏典を含む部分であり、「薬師経」「弥勒経」「維摩経」「金光明経」「楞伽経」「解深密経」などが含まれているようです。
大正新脩大蔵経は、大正13年(1924年)から昭和9年(1934年)までの10年間にかけて編纂された日本の大蔵経であり、多くの仏典や経典が収録されています。
詳細な情報や内容については、大正新脩大蔵経や経集部に関する文献や資料を参照することで詳細な理解を深めることができます。
相応部
「相応部」とは、仏教の教えの一つであり、修行者が自身の能力や状態に応じて適切な教えを受けることを指します。修行者の理解力や受け入れる能力に応じて、教えを適切に受け取ることが重要とされています。
「相応部経典」とは、相応部に関連する経典のことを指します。具体的には、『相応部』や『相応部経』といった経典が該当します。これらの経典には、相応部の教えや原則が詳細に説かれています。
相応部経典は、仏教の教えの一部として、修行者が自己の能力や理解力に応じて教えを受けることの重要性を強調しています。修行者が自身の進歩に合わせて段階的に教えを受けることで、より効果的な修行や理解を進めることができるとされています。
相応部経典は、主に大乗仏教や上座部仏教の教えの中で見られます。それぞれの宗派や伝統によって、異なる経典が相応部の教えを含んでいる場合があります。
相応部経典には、修行者が自己の能力や理解力に応じて教えを受けることの重要性や、段階的な修行の進め方に関する内容が含まれています。以下に一般的な相応部経典の内容の一部を例示しますが、具体的な内容は仏教の教派や宗派によって異なる場合があります。
1. 相応部の教え: 相応部経典では、修行者が自己の能力に応じて適切な教えを受けることの重要性が説かれます。修行者は自身の理解力や受け入れる能力に応じて、段階的に教えを進めることで、より効果的な修行を行うことができるとされています。
2. 修行の段階: 相応部経典では、修行の段階について詳細に説かれることがあります。修行者は初心者から段階的に進み、様々な教えや実践を通じて成長していく過程が示されます。各段階ごとに、修行者が取り組むべき内容や実践方法が指導されることがあります。
3. 修行の指針: 相応部経典では、修行者が自己の能力に応じて適切な修行の指針を受けることが強調されます。修行者は個々の能力や状態に合わせて、仏教の教えや実践方法を適切に選択し、自己の成長や解脱に向けて進むことが求められます。
4. 心の修行: 相応部経典では、心の修行に関する教えも含まれることがあります。修行者は自己の心を観察し、悪い習慣や執着から解放されるための方法や実践を学ぶことができます。心の修行は仏教の教えの中で重要な要素であり、相応部経典でもその重要性が説かれることがあります。
これらは一般的な相応部経典の内容の一部です。ただし、具体的な内容は仏教の教派や宗派によって異なる場合があります。特定の宗派や伝統の経典を参照することで、より詳細な内容を知ることができます。
ブッダの教えは、苦しみから解放されるための方法や真理を教えるものです。彼の教えは多岐にわたりますが、中心となる教えは以下のようなものがあります。
1. 四諦(しとう):苦諦(くたい)・集諦(しゅうたい)・滅諦(めったい)・道諦(どうたい)の四つの真理を説き、人間の苦しみの原因と解決方法を示しました。
2. 八正道(はっしょうどう):正見・正思考・正語・正業・正命・正精進・正念・正定の八つの道徳的な行い方を教え、悟りへの道を示しました。
3. 三帰依(さんきえ):仏(ぶつ)・法(ほう)・僧(そう)の三つの宝に帰依することを教え、これらを信じることで苦しみからの解放が可能となると説きました。
ブッダの教えは、人々が苦しみから解放され、幸福な人生を送るための指針となるものです。彼の教えは個人の内面の変革や他者への思いやりを重視し、平和と調和を追求することを目指しています。詳細な解説や理解には、専門の書籍や資料を参照することをおすすめします。