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漫画本編:かおなくし - ミヨカワ将 | 少年ジャンプ+ (shonenjumpplus.com)

感想コメント:かおなくし - ミヨカワ将 | 少年ジャンプ+ (hatena.ne.jp)

 

 

 

〇本作のポイント

・ストーリー自体を理解するのは、そこまで難しくない。しかし、本作は読んだ後に「?」と感じる人がSNS上で続出している。言い換えれば、「どんな出来事が漫画内で生じているのかは普通に分かる。でも作者のミヨカワ将先生が何を面白いと感じて本作を描いたのかが自分には理解しがたい」と多数の読者に感じさせてしまう読切なのかもしれない。

 

・「少年ジャンプ+」に掲載される読切は石川理武『雨の日ミサンガ』など、最初の方の頁がカラーとなっていることが多い。しかし、本作は2ページ目で赤色と黄色のフォントが使われている点や、赤系統の色彩編集が行われている点を除き、カラー絵と言える頁が見受けられない。

 

・作者が本作を通して描きたかったテーマは2ページ目の煽り文に「愛しているのは 美しい顔? それとも―…」とあるように、恋愛対象が「恋人そのもの」なのか、それとも「恋人の美しい顔」なのかという問題だと思われる。

 

・3ページ目では「包帯女」なる噂(うわさ)が紹介されている。噂によると、包帯女は夜の路地に現れてメスで若い女の顔を切り取っており、事故で顔に大ケガして失った大切な顔を探しているとのこと。

 

・「包帯女」なる噂を聞いたショートヘアの女子は「こわ~」と呟いたが、その後ひとりで歩いていると、包帯女がその女子の背後に登場する。女子は楳図かずお作品で出てきそうな顔をしながら悲鳴をあげている。

 

・3ページ目の2コマ目の台詞文と最終ページの台詞文は繋がっているように読むことが出来る。

 

・本作の主人公、瀬口は三角食べという概念に固執しているが、三角食べは「一度の食事の中で、ご飯・おかず・味噌汁を均等に食べ進める行為」であり、「いつも日替わりでハンバーグ 唐揚げ カレーの順で注文すること」は三角食べに該当しない。

 

・瀬口が自分の眼球を自ら抉るシーンは、谷崎潤一郎『春琴抄』の主人公が自ら眼球を刺すシーンの影響かと思われる。

 

・たとえば2頁にわたって読者に江倉の傷痕を違和感や不自然さなく隠せている箇所など、作画における工夫が光る頁も多く、原作付きの漫画を多数てがけてきたミヨカワ将先生のキャリアが感じられる。(『かおかくし』は『かおなくし』のミスタッチ。)

 

・最初の頁と最終頁の一つ前の頁は文体が丁寧語となっている。前者が語り手不詳の文となっているのに対し、後者は江倉(交通事故で顔を怪我した女性)による語り口となっている。ただし、江倉が誰に語っている台詞なのかは不明。

 

・ショートヘア女子の背後に包帯女がいて女子が悲鳴をあげるシーンや、「夜の路地に現れて」という吹き出しのあるコマで包帯女の足元に影が見えることから、包帯女は物理的に実在していることが判るのに最終頁の煽り文では「心も体も瞳もなく彷徨う」と書かれており、矛盾が生じている。

 

 

 

 

〇本作を読んだ後に「?」と感じる人が続出している理由の考察

・冒頭でショートヘアの女子が包帯女なる噂を聞いている描写があったが、この描写を読んで「夜の路地に現れてメスで若い女の顔を切り取るという話が事実なら、顔の一部を切り取られた女性の遺体が発見されたり、包帯女を見たという目撃証言が出たり、包帯女に関するニュースがマスコミやSNSで流れたりして警察が動いているはず。警察が動いていない以上、この話は作品内で実際には起こっていないことなのでは?」と感じる読者も少なくないと思われる。

 

・つまりホラー(漫画)というテーマ自体が、スマホや防犯カメラが溢れている現代社会では余りリアリティーを感じさせないジャンルになっている可能性がある。

 

・例えば、日本では口裂け女という都市伝説が流行した時代が20世紀頃にあったが、今であれば「口裂け女とかいう生き物が実在しているのなら防犯カメラや目撃者による撮影などによって映像が記録されているはず」という冷静な指摘が行われ、噂にすらならないだろう。(余談だが、SNS全盛の今の時代、ツチノコやネッシーや怪談なんかよりQアノンや反ワクチンなどといった陰謀論のほうが影響力を有しているのではないか。)

 

・また、瀬口の心中文のシーン(「今やっと気付いた 俺が間違っていたと」)は読者に「ようやく瀬口が『自分は今まで恋人のことばかり考えていて、それ以外のことを考えていなかった』などといった反省をするのかな」と思わせるものとなっている。しかし、そのシーンの直後に瀬口が取った行動は自分の眼球を自ら抉るというものであった。

 

・作者は「いかにもポジティヴな展開になりそうだったのに瀬口が眼球を抉れば読者はビックリするだろう」と思い、そのような展開にしたのだろう。このように、視聴者や読者が抱くであろう予想とは異なる展開を描くことで視聴者や読者を驚かせる手法のことをミスリードといい、ミステリー作品などでも多用されている手法である。本作では他にもミスリードが見られ、「包帯女の正体が江倉ではなく瀬口だったという展開」がこれに該当する。

 

・だが、ミスリードという手法を用いる際には注意しなけばならないことがある。それは読者を良い意味で驚かせなければならないということである。

 

・例えば『名探偵コナン』では、「ベルモットがジョディ先生に変装している」と読者に思わせるようなシーンが沢山あったにも拘らず、実際にベルモットが変装していたのは新出智明だったという展開があった。このミスリードは多くの『名探偵コナン』読者を良い意味で驚かせた。理由としては、後から読めば不自然さがない展開であるにも拘らず「実は新出智明に変装していたという真相」が余りにも意外だったこと、「ジョディが持つ写真の一部に白い枠のようなズレが生じていた→その写真は新出智明に変装していたベルモットが所持する写真から複製されたものだったため白い枠のようなズレが生じていた」などといった巧みな伏線が用意されていたことなどが挙げられる。

 

・もし、これが「ベルモットがジョディ先生に変装している」と読者に思わせるようなシーンが沢山あったにも拘らず、実際にベルモットが変装していたのは小学一年生の円谷光彦君だったという展開であったならば、良い意味で驚かされた読者は居なかったであろう。もちろん読者は「成人女性のベルモットがあの光彦君に変装していたのかよ」と驚愕こそするだろうが、このような安直なミスリードは「リアリティー無さすぎだろ」「名探偵コナンってシュール系ギャグ漫画だったのかよ」などと読者をガッカリさせる結果となる。

 

・前述したように本作では少なくとも二つのミスリードが用いられている。「包帯女の正体が江倉ではなく瀬口だったという展開」の方についてだが、作者がこのミスリードを設けた影響で色々と不自然な点が生じてしまっている。

 

・瀬口が病院から失踪した直後に、マスコミ等で「病院から一人の男が失踪」などといった報道はされなかったのだろうか。江倉は最終頁の一つ前の頁で「彼(瀬口)が私を探して夜の街を徘徊しているという噂を聞きましたが あくまで噂です 確認はしていません」と述べているが、「瀬口が夜の街を徘徊している」という噂が既に世間で流れているのなら「包帯女が夜の路地に現れてメスで若い女の顔を切り取っている」という噂が世間で流れかけたとしても「それって病院から一人の男が失踪した例の事件のことだよね」というツッコミがなされ、結果的に噂として成立しないのでは?…という疑問点がある。

 

・「いかにもポジティヴな展開になりそうだったのに瀬口が眼球を抉りだす展開」の方に関しても、SNSで『かおなくし』と検索した限りでは「この突飛で猟奇的な展開」に良い意味で驚いている読者は少なく、むしろ呆気に取られている読者が多い印象を受ける。

 

・ただ、Twitter民のグラスカーム氏は本作を高く評価している。以下ではグラスカーム氏のコメントを分析していく。

 

 

 

〇グラスカーム氏のTwitterにおけるコメント

スレッド1魚拓

スレッド2魚拓

 

 

〇グラスカーム氏のコメントに関する分析

・<まず主人公の男性についてだけど、終始自己中心的で思い込みの激しい人物として描かれている。

→これは妥当でないコメントだと思われる。主人公は高校時代にサッカー部だった友人を半年にも亘って支えていたことから、少なくとも江倉と交際するまでは狂気に囚われていなかったと考えられる。自ら眼球を抉るという異常行動に及ぶ直前ですら、「人間ならやって当たり前の美談」「そんな当たり前の美しい行いが当たり前にできない俺って何なんだろう」と心中文にあるように常人の価値観自体は推し量ることが出来ている。

 

 

・<最初アルバイトの子が「手が離せない」と言っているのに対して「手が離せないって」って不愉快そうに言ってるけど これ「スマホで業務上のなんらかの手続きをしている可能性」を全く考慮してなさそうなんだよね。

→そのアルバイトの子は「何してる?コバちゃん」「お客さん来てるでしょ」と江倉に言われている。また、江倉も「申し訳ございません お待たせしました」と述べている。「スマホで業務上のなんらかの手続きをしている可能性」を想定するのは自由だが、仮にそうだと仮定するにしても、江倉の言動から判断して、その業務が店頭での注文対応よりも優先されるべきものだとは考えにくい。

 

 

・<そういえば「三角食べ」発言に対して「三角食べはそうじゃないだろ」って言ってる人結構いるけど、作者もそれは分かって描いてると思うよ。 主人公の「三角食べ」発言に対して登場キャラ1人も同意や反応してないから。普通であれば「私もしてます」とか「懐かしいですね」とかリアクションあっても良いはずなのに、スルーするの、割と人の間違った知識をスルーする事良くあるしリアルよね

→仮に作者が作品内で瀬口の三角食べの知識を間違っているものとして扱いたいのだとしても、周囲のキャラが「瀬口が間違った知識を述べているということ」に違和感を持っているような描写がないと、「作品内でその知識が間違っているものとして扱われているのか否か」が読者に判断できない状況となってしまう。もし作者が瀬口の三角食べの知識を間違っているものとして扱いたかったのであれば、三角食べに関する瀬口の発言に対して、周囲のキャラが何かしらの違和感を抱いているような描写を入れた方が無難だったと思われる。

 

 

・<手鏡、というかコンパクト?を「こんなものもう見るな」って、勝手に不要なものと判断してそれがどれだけ大切なものか考えずに勝手にゴミ箱に捨てるシーンもかなりヤバいやつ描写してるよね。 現にラスト別の恋人との待ち合わせ中に割れてるのに使ってるし、かなり思い入れありそう

→これは同感。自分も他人の所有物を勝手にゴミ箱に捨てるような行為は余程のことがない限りしない。

 

 

・<こっちの発言や行動を待たずに眼球えぐられたら「うわ気持ちわる、関わらんとこ」ってなるのは当然だろうし、彼について聞かれても知らんがなって答えられる程度には明るく生きていけるのは正直魅力的な生き方だなぁって思う

→普通の人だったら、交際相手の人物が衝撃的な行為に及んでいる光景を目の前で直視した場合、恋人(瀬口)への恋心が残るか否かによらず、トラウマ(や、それに近いような心理的状況)になるはずなのに、江倉は「あたかも自分がその猟奇的な現場にいなかったかのような言動」をしており、不自然である。また、「明るく生きていけること」と「常人が持っているような感情に乏しいこと」は同義ではない。

 

 

・<最後に後輩について、言葉遣いや態度は悪いけど多分悪い人では無いのかなって思う。 というのも最後に「アイツはどうなったの?」って聞くのはある程度主人公に対して気にかけてないとできない発言だから

→メタ視点になるが、作者が後輩に「アイツはどうなったの?」と問わせたのは、この時点で江倉が瀬口についてどれほど関知しているのかを読者に示しやすくするためだと思われる。それにしても、警察は江倉に行方不明の狂人(瀬口)に関する事情聴取などをしなかったのだろうか。

 

 

・<作者はあなたの眼球は潰してないはずなのでもう一度読んでほしい

→グラスカーム氏は<五感が正常な人間が視力を完全に失ってベッドから真っ直ぐドアに向かえるだろうか? 仮にリハビリでそれができたとしても、その後街を徘徊できるだろうか?杖も無しに? 剥き出しの刃物もって街を歩いているのに転けた跡や擦り傷切り傷無いからアイツ目が見えてるよ>と述べている。確かに、視力を完全に失った者が街を徘徊するというのは殆ど不可能である。一方、損傷直後のシーンを確認すると、損傷部位が瞼板や角膜に及んでいるように描画されており、瀬口の眼球は十分に破壊されていると読むのが自然である。「街を徘徊する行為には最低限の視力が要るはずなのに、瀬口の眼球は病院内の一室で十分に破壊されているという矛盾」を解消するためには「瀬口は自身の眼球を損傷し包帯を巻かれた後の或るタイミングで一人の若年男性から『心も体も瞳もない霊的な存在』へと変化した」と解釈する必要があるのかもしれない。