★底本

第一部 p71~75

 

★手塚による要約

真の徳は個性的な刻印をもち、情熱の泉から生まれ、それゆえにそれは喜悦となる。世間的な徳と違って破滅をも招く強烈なものだ。

 

 

★解説

・冒頭の「わたしの兄弟」とは、ツァラトゥストラの教えに耳を傾ける仲間のこと。

 

・「君(わたしの兄弟)がもし一つの徳を持っていて、それが自分自身の徳であるなら、自分以外の者と共有しないだろう」とツァラトゥストラは語る。そして「いうまでもなく君はその徳に名をつけて呼び、愛撫したいと思うだろう」と語る。

 

・だが、ツァラトゥストラによると、その徳に名前をつけ愛でる(なでなでする)行為をした瞬間、その徳の名前を民衆と共有し、そのうえ君自身もその徳をもったまま民衆や畜群になってしまうという。その徳は「自分自身の魂の痛みと楽しみをなすもの」「自分の内臓の飢え」「地上の徳」「なれなれしく名で呼ばれるには余りにも高すぎる(高貴すぎる)もの」であるべきだと説く。

 

・「地上の徳」であるということは、「天上の楽園(=大地を超えた世界)への道しるべ」とは真逆の存在であることを意味する。地上の徳は世間知が含まれていることが少なく、万人共通の理性が含まれていることはもっと少ないともツァラトゥストラは説く。

 

・ツァラトゥストラは地上の徳を鳥に喩え、「その鳥がわたしのところに巣を作り、わたしはその巣を胸に抱いている。今それ(その鳥)はわたしの胸に金の卵をあたためている」と表現する。

 

・わたしの兄弟はかつて様々な情熱をもち、それを悪と呼んだが、地上の徳はその情熱から生まれたものなので、悪ではなく徳と公言してよいとツァラトゥストラは説く。徳と悪は対義語の関係にあると読める。

 

・キリスト教全盛の時代であれば悪とされた情熱をツァラトゥストラは「君は君自身の最高の目的を情熱に刻みつけた。それによってその情熱が君の徳なり喜悦となったのだ」と肯定する。p73では「猛犬→小鳥→愛らしい歌姫」「君の毒→君の香油(バルザム)」「憂愁という牝牛から甘い乳を搾り、それを吸っている」などという暗喩が登場するが、これらの暗喩は「ツァラトゥストラの序説」p13の「蜜蜂」のメタファーに似た雰囲気を感じされる。

 

・君自身の徳がただ一つなら君は幸運児だが、二つ以上あると葛藤や嫉妬や不信や誹謗が起こると説く。「人間は乗り超えられねばならぬものである。それゆえに君は君の徳を愛さなければならぬ。なぜなら、それらの徳は君を破滅させうるのだから」と最後に述べているが、ツァラトゥストラにとって破滅は必ずしも避けねばならぬことではないらしい。

 

・二つ以上あると葛藤や嫉妬や不信や誹謗が起こって自分自身の破滅に繋がりうるのであれば一つのほうが望ましいという主張になってもおかしくないが、ツァラトゥストラは「それゆえに君は君の徳を愛さなければならぬ」という逆説を展開している。「ツァラトゥストラの序説」★5 (p29~33)で示されているように「幸運や幸せをただただ追求する価値観」は末人に多くみられるもので、超人の価値観とは相容れないものがある。

 

 

 

 

※『ツァラトゥストラはかく語り』解説プロジェクトに関連する記事は全て【記事リスト】でまとめられています。