〇楽曲

赤い鳥 『竹田の子守唄』  (歌詞つき

 

 

〇歌詞 (赤い鳥1971年シングル版)

守りもいやがる 盆から先にゃ
雪もちらつくし 子も泣くし

盆がきたとて なにうれしかろ
帷子(かたびら)はなし 帯はなし

この子よう泣く 守りをばいじる
守りも一日 やせるやら

はよもいきたや この在所(ざいしょ)越えて
むこうに見えるは 親のうち

 

 

〇歌詞を不自然と主張する声

森達也の『放送禁止歌』などで取り上げられているように、「竹田の子守歌」には「歌詞が不自然である」との意見が存在する。

たとえば、「旧暦の盆は新暦7月(もしくは8月)中旬ごろなので、東北地方や北海道などなら兎も角、雪というには時期が早すぎる」という声や、「この歌詞の主人公である守り子が『向こうに見える親の家に帰りたい』というのは不自然だ」という声などがある。

 

 

〇私見

だが、この2つの意見は適切ではないように思われる。

まずは一つ目から。歌詞には「盆から先にゃ」とある。月遅れ盆(新暦8月15日)も過ぎれば、秋が来て、気温も当然下がっていく。

肌寒さを感じる日が増えてくれば、寒さの象徴ともいえる雪の情景がちらつくようになるのも自然なことである。

また、二つ目に関してだが、在所を『明鏡国語辞典 第二版』にあるように「住んでいる所」という意味で捉えるなら、「早くいきたいな、いま自分が住んでいるこの場所を越えて」という意味になる。「むこうに見えるは親のうち」という箇所も、「親のうち(家)は向こうに見えるものの、子守奉公の期間が終わるまでは親の家に行けない」という意味や、「実際は目視出来ないほど遠くの距離にある親の家が向こうに見えてしまうほど、親の家への思いが強い」という意味などで捉えれば、不自然な歌詞とは言い難い。

 

 

〇歌詞の解釈の一例

守り子も嫌がる盆の時期より後になると
次第に気温が下がり 雪の情景がちらつくようになって子も泣く

 

盆が来たとして 何か嬉しいことがあるだろうか
夏用の単物も 高価な着物を整えるための帯もない

この子はよく泣く 守り子をいじめる
守り子も一日で やせてしまうのではないか

早くいきたいな いま私が住んでいるこの場所を越えて
向こうに見えるのは 親の家