工場地帯ができるところの特徴は?①もちろん広大な平地が必要なこと以外にね。
②工場で使う水が確保できなければならないでしょう。
③交通の便の良さも必要でしょう。
そう。その全てがそろっている土地の一つが板橋~王子だ。板橋と王子は隣接する土地だ。①まず見渡す限り水田が広がっていた。つまり広大な土地はある。②このあたりは水も豊富だ。見たまえ↓
うわぁ。滝ですね。
そうだ。王子駅のそばにある「名主の滝」だよ。また、板橋から王子には石神井川、千川上水が流れ動力源として水が利用できるし、しかも、その水はきれいなのだ。さらに③王子から石神井川に出て、少し行くと隅田川につながっていて東京に中心部や内陸に行き来できた。そこで、↓これを見たまえ。
渋沢栄一さんの写真が右側に見えますね。
そうだ。渋沢栄一はここに製紙工場をつくった。今も存続している「王子製紙」という会社をつくったのだ。その結果、紙を使う製本関連の工場や紙幣を印刷する工場も王子に集まってきた。たとえばこれ↓を見たまえ。
国立印刷局王子工場とありますね。
そう。これはお札をつくる工場だよ。ところで幕末の黒船来航以来、外国から国を守らなければならないという意識が日本では強くなってきた。そこで、加賀藩では下屋敷(板橋区)で大砲をつくり始めた。ここでも水がその動力源となった。21万坪(東京ドーム約15個分)もある加賀藩下屋敷の築山跡地は現在は加賀公園となっている。↓これね。
それがもとになり、板橋から王子には陸軍の工場も立ち並び始めた。王子には東京第一陸軍造兵廠、板橋には東京第二陸軍造兵廠が置かれた。起爆装置、信管、火薬などがつくられた。そして、それに関連する民間の工場も集まった。王子は「軍都」と呼ばれた。
その痕跡はありますか?
かなりある。↓は加賀公園のそばにある弾丸や火薬の試験装置だ。この黒いパイプから発射される弾丸の標的がさっきの加賀公園内の写真だよ。
さらに東京第一陸軍造兵廠本部、現在は北区中央公園文化センターとして使われている。↓
昔の建物は強いですね。しっかりと残ってます。
その昔はアメリカ軍の野戦病院として使われており、ベトナム戦争反対運動と結びついて、病院の閉鎖と敷地の返還を求める運動が行われた場所でもある。さらに北区中央公園内には↓がある。
何ですか?
煙突の一部と昔のボイラーだ。↓もあるよ。
これは現在は図書館として使われている昔の工場だよ。赤レンガが特徴だよ。こんなのもあるよ。↓
「殉職慰霊碑」とありますが……。
事故や空襲で亡くなった工員さんの慰霊碑だよ。王子や板橋の軍需工場は当然、アメリカ軍の攻撃の標的になったからね。
火薬を扱う工場ですから、事故もあったでしょう。
そうだね。さて、戦争が終わり、大日本帝国陸軍は消滅し、当然軍需工場も消滅し、関連工場も消えていった。
広大な空き地ができるはずです。
そうです。だから、軍需工場の跡地には巨大マンション、大学、病院などが建てられているよ。こんな感じ↓
拙著です↓。↑のように講師と生徒二人の会話形式で社会科を語る本です。ゼミナールに参加する気分で、暗記じゃない基本から説き起こす社会の参考書をぜひ知ってほしいです。以下から立ち読みも可能です。
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拙著に込めた思いについては
「やさしい中学地理」について | やさしい社会ブログ (ameblo.jp)
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