ヴィクトール・フランクルの『夜と霧』の中のつぎの言葉は、自分を支える力になっている。
(ヴィクトール・フランクル)
人間は、苦しみと向き合い、この苦しみに満ちた運命と共に「全宇宙にたった
一度、そして二つとない在り方で存在しているのだ」という意識にまで到達し
なければいけない。
誰もその人から苦しみを取り除くことは出来ない。誰もその人の身代わりにな
ってとことん苦しむことは出来ない。
この運命を引き当てたその人自身が、この苦しみを引き受けることに、二つと
ない何かを成し遂げるたった一度の可能性はあるのだ。
障害のある息子や家族の病気など、「思わざる運命」と共に、どうにか70年を生きてきた。それは、良きことも含め、若い時に思い描いた人生とは全く異なるものであった。「こういう運命だったのか」と、今は粛然として人生を振り返る。ただ「思わざる運命」は、ケースや程度の違いはあれ、よほど平坦な人生を歩んだ者以外には、ほとんどの人間、ほとんどの人生に当てはまる。皆さんそう思って晩年を迎える。これも間違いない。
(息子とのイタリア旅行、フィレンツェのミケランジェロ広場。2010年。長年共に生きてきたことが、自分の人生を彩って来た)
(ベネチア、船上にて)
(ベネチアのゴンドラ巡り)
(同上)
ナチスの強制収容所でのホロコーストを生き抜いたユダヤ人精神科医ヴィクトール・フランクルは、「引き当てた」自らの過酷な運命の中に(人知を超える)「意味」(ロゴス)の存在を見出した。それは、すべての人間の「全宇宙にたった一度の、二つとない在り方」を踏まえてのものだった。また「苦しみを引き受けることに、二つとない何かを成し遂げる、たった一度の可能性がある」と、「苦しみ」に「価値」「意味」を見出すことで、結果として、不運な者に力を与えるあの世界的名著『夜と霧』を著すことになった。収容所で妻、両親、兄弟など、愛するもの全てを喪ったことを代償にして得た魂の言葉、他者への励ましの著書である。
私にとっては、苦しみに「価値」「意味」の存在を見出すフランクルの考え方は、安易に神に頼らず、自らを、自らの力でしっかりと立たせてくれる実存的な考え方である。能動的で自立的な哲学である。この歳になってフランクルの言葉に出会えたことは人生の僥倖だと思っている。





