日の当たらない木造の長屋に住んでいた頃、

残業続きの母を、心細い思いで、待ってた。

生まれながらに病弱だった私は、部類の本好きで、いつも手元には本があり、時にはその本を

読むことで、両親共に働かないと、生活が維持出来なかったり、職場で抑圧していた不満や

怒りが飲酒により、家族に向けられ、常にその不安と恐怖に支配されていた日常を、忘れさせた。一番最初に読んだのが、何だったのかは、忘れてしまったが、小学生の誕生日に、そんな私に父がプレゼントしてくれたのが、林芙美子の自伝的な小説であり、何度も舞台化された放浪記である。貧しさ故に、カフェの女給として

働いたり、何度も男性に騙されつつも、作家になる夢を忘れずに、生きた林芙美子の生涯を、

描いた作品だった、


私もいつか物書きになりたいという夢を描いた

ものの、簡単にはその道は開かれずに、自らの思いとは裏腹な現実が常に目の前に横たわっていた。何度も挫折を味わいもした。初めての挫折は、幼稚園に通っていた時の入院生活。扁桃腺が腫れて、その摘出手術をした。今はない個人経営の耳鼻科の病院。手術室と言えども、そんなに明るくはなく、患部を照らすための照明程度しかなく、局部麻酔だったから、いくら目隠しをされていたと言えども、その物音で、医師や看護師が何をしているのかが、想像出来た環境だった。その瞬間はとても怖かったが、半年間の入院に耐えられたのは、医療ミスで、

何人かの患者を死なせているという噂があったその病院の医院長に、殺されてたまるかという

意地と、もう一度普通に暮らしたいという希望があったからだ。


しかし人生で初めての集団生活であり、教育の

場でもある幼稚園を半年休んだことて、私は、

集団生活に馴染めない性格になり、それは、

後の人生を大きく左右した。この性格は未だに変わらず、人が集まる所に行けば、売上が上がる可能性があるのに、私は人混みがとても苦手だから、夏祭りのイベントの一つであるフリーマーケットには、ここ数年参加しているが、

途中で帰りたくなる。またどんなに宣伝しても、簡単には商品は売れないし、売上としての

結果が出るにも、とても時間がかかり、それを

待つ必要も出て来るが、もし私が生涯かけて、

本物の商いをしたいという希望がなかったから、おそらく仕事は続けてはいないだろう。


最後に勤めた会社を辞めた時に、もう二度と会社勤めはするまいと決めたからには、どんな状態でも、夢を諦めるわけにはいかない。どんな仕事でも、それなりの結果を出さなければ、社会的には認められないものだ。そんな意味では、まだ道半ばである。両親が死んだり、恋人との別れは辛いものがあるが、だからこそ、働き方を変えることが、出来たのかもしれない。ビジネスのことを知らないままに起業して、牛の歩みではあるが、少しずつ顧客は増えていて、いつも新刊が出る度に、それを購入して下さるお客様がいることは、嬉しくて、ありがたい。そんな人々に支えられて、仕事が出来ている幸いを思う。


私が原因所属している教会で、洗礼を受けた時に、当時いた牧師から、オレンジ色の表紙の祈祷書をプレゼントされ、その扉に、新訳聖書のローマ人への手紙の5章の言葉が記されてあったが、今でも私が座右の名にしているのは、希望は失望に終わらないという言葉だ。高校

卒業後も自らの望む道には進めず、本州の大学で、幼児教育を学び、地元に帰って来ても、寺院が経営する幼稚園が大半で、就職はコネの世界。その幼稚園を運営している寺院の檀家の娘を、優先的に採用していたし、他の民間企業に面接に訪れても、当時は中小零細企業が大半の私が住む北海道の田舎町では、大卒は採用しないという風潮だったし、履歴書に書いた幼児教育者としての資格が災いして、いずれの企業も不採用になり、やむなく父の取引先からの紹介で、某会社の事務として採用され、高校は進学コースで、簿記などの商業の基礎など知らなかった私が、滑稽なことに、事務職を始めたのだから、それが長続きするはずもなく、短期間でその会社を辞めた。


その後は紆余曲折あったものの、会社人間を、

卒業して、初めて幼い頃から、夢に見ていた物書きとしての道が開かれたのである。本当に

長い道のりだったが、私は物書きになるという希望を捨てなかった。まさに希望は失望に終わらないという聖書の言葉が、成就したのである。初めて自らの本が出来た時は嬉しくて、感動した。それを願って、長いこと遠回りしてきたからだ。今は思えば、もし高校卒業後に、

本に関わる仕事が出来ていたなら、もっと早くにその夢は叶ったかもしれないが、すべてには時があるのだろう。会社を辞めたことで、その時が訪れたのかもしれない。


人生においては、時に思いがけない嵐がやって来たり、大雨に濡れて、さまようこともあるし、人に裏切られたり、悲しい別れもあり、本当に思いようにはならないが、希望が、暗い道を照らす光や羅針盤になる。聖書のヨハネによる福音書には、闇の中に光があったという言葉がある。闇が深いほどに、そこに照らされる光はひときわ明るく感じられるという意味だろう。現実は心の反映だと言うし、まさにそれが言霊だ。自らが信じた道を、信念に基づき、歩くことは尊い。生活を考えて、ある程度妥協する人が多い中で、自分を貫くのは容易ではないが、私はそんな険しい道を、あえて選択した。自分らしく働き、それで生きていきたかったからだ。


もう自らを偽ることは止めよう。もう人の顔色ばかりを伺うことはするまい。どんな状態に陥っても、その現実からは、逃げまいと決めて、私は会社から離れて、独立した。そしてビジネスの世界の厳しさを痛感する日々てあるが、いつか私の本が全国の書店に並び、多くの人々が、それを手にするようになるまでは、細々でもこの道を、歩き続けるだけである。