最も長く勤めた最後に在籍していた会社は、  当時一日中稼働しており、交代制の変則勤務だった。私は早朝のみの勤務という契約だったから、いつも夜中に起きての出勤で、特に冬は歩道は除雪しておらず、ただ街灯が灯る道を、寒風に吹かれて、会社まで行ったものだ。ある日いつものように、起床して、カーテンを開けたら、雪が降っていて、激しい風が窓を叩きつけていた。学校ならば、臨時休校になるであろう悪天候。しかし会社は、そんなわけにはいかない。こんな日は仕事をしたくないと、思いつつ、身支度を整えて、家を出ても、吹雪で視界がない。丁度夜勤のタクシーが、私が歩いていた坂道を通りかかり、車の窓を開けて、お金は

いらないから、乗らないかと、暖かい言葉を

かけてくれたが、ビジネスだから、そんな

ことは出来ないと感じ、丁重にその申し出を

断ったものの、雪が顔に当たり、目も開ける

のも、困難な状況で、本当に心細い思いで、

出勤したものだ。


またいつだったか、北海道の電力会社が管理

している送電線の異常で、停電になり、職場に 赴いても、何ら仕事にならなかった日があった。現代社会においては、OA化に伴い、

業務上のデータはすべてコンピューターが、

管理しているので、電気が止まれば、それは

全く機能しなくなる。それにその頃は機械が

導入されていたので、それすらも稼働せず、

こんな危機的状況でも、管理職は、事前に

緊急に集まり、現場の状況確認もせずに、

私たち従業員が、出社してから、その対応を

協議するという体たらく。私が引退を考えたのは、この瞬間だった。とにかく危機管理能力もなく、民間になったにも関わらず、お役所体質が残っていて、何かあっても、誰も責任を取りたがらない体制に、呆れ果てたのである。故

に、適当に仕事をすれば良いという甘えが、

特に管理職には蔓延していた。それから半年

後に、その会社を辞職し、会社員人生を引退

したが、今でもその選択を、後悔してはいない。それにより、自分らしい働き方が、可能に

なったからである。


引退を考えた瞬間

 

 

 

 

 

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