若いころは貧血気味で毎日お風呂あがりに目の前が真っ暗になり意識を失いかけるので、倒れる前にしゃがみ込むという技をいつのまにか身につけた私。当時はそれが特別な事だと思わず世間の人はいつもこんな危険と隣り合わせでお風呂に入っているんだと思っていた。生理痛もひどい方で痛みのあまり倒れてしまうこともしばしばでその度に家族が私を病院に担ぎ込んだ。痛みと貧血で顔色だけではなく唇まで血の気が失せて真っ白になってしまう私は、いつも担ぎ込まれた病院で待つ大勢の人をすっとばし救急患者として痛み止めの注射を打たれてしまうかなり迷惑な患者だった。

家で家族がいる時はまだいい。当時私は、1時間半もかけて通勤していた。何か月かに一回は立っていることが辛い痛みと貧血に襲われた。そうなるとやはり周囲に分かりやすく血の気が失せ席を譲ったお年寄りに再度席を譲られるといった本末転倒なことになったりした。ある時などは私の顔色をみて年配の女性が座っている人に大号令をかけ横長の席を丸々空けさせ私をそこに寝かせるという荒業に出た。たくさんの知らない人達に見守られながら横になるというありえない事態に恥ずかしさのあまり下がっていた血圧があがり貧血も痛みもすっとんだ。

 

そんな事があってから、次の電車の中で体調が悪くなったら我慢せずに迷わず降りようと心にきめていたある日の事だ。その日も生理で体調が悪く私は帰れるうちに帰ろうと早退した。しかし、1時間半の通勤は長く、どんどん血の気が失せているのが自分でもわかったのであの悪夢をくりかえさないように私は途中で電車を降りた。誰からも声をかけられる事のないように改札口の階段から一番遠いホームの端まで歩いていき、そこにあったベンチに上半身を横たえた。頭を低くして貧血を防ぎ身体も折り曲げて腹痛を耐える。しばらく休んでいれば薬も効いて来てくるはずだからそれまでここで休んでいようと思っていた。15分ほどたった頃

「大丈夫ですか?」と声をかけられ目をあけると駅員さんが2人たっていた。どうやら誰かが心配して駅員さんに通報してくれたらしい。私は慌てて身体を起こし「大丈夫です。」と言い切った。そのまま立ち去ってくれるかと思いきや「立てますか?」と聞かれた。なぜそんな事を聞くのかと不思議に思ったのもつかの間、二人の駅員に両側から抱えられたのだ。

「え?何?なんですか?」

「救急車呼んでますから」

「え?なんで?大丈夫ですから!ちょっと待って」

私の言葉は無視されほとんどアメリカ兵に連れていかれる宇宙人のような状態で引きずられるようにして救急車に連行されたのだった。

親に心配をかけたくなかったため住所や電話番号は言いたくなかったが、規則だと救急隊員に怒られた。病院では子宮外妊娠ではないかと疑われ、そんな行為はしていないから絶対にありえないと言うと

「嘘をついたら命にかかわるわよ!」と女医さんから怒られた。親に心配をかけたくないという理由は親に知られたくない事があるという風に変換されて伝えられているのは明らかだった。

いろんな検査をされてやっと単なる生理痛だと信じてもらえて病院から解放された時には早退して明るかったはずの空はとっぷり暮れていつもより遅い時間帯になっていた。

遅くなった理由を説明しなければと母に電話し、結局救急車で運ばれた話をすると驚くと思っていた母は「あっそ。ほな気を付けて帰っておいでな」といって電話がきれた。心配かけたくないと思った親は私の虚弱体質に慣れすぎて何の心配もしなかった。赤の他人の世間の人々がこれほど大騒ぎしているというのに慣れとは恐ろしいものだ。ちなみにこれほどおさわがせな私の生理痛はその後結婚して10キロ太った時点で全くなくなり病院へ担ぎ込まれることはなくなったのだった。