女性薬剤師会
12月1日の土曜日、旭川女性薬剤師会の創立35周年記念講演と懇親会にお呼ばれしてきました。
旭川薬剤師会の正副会長(4名)に事務局長(1名)、女性薬剤師会とはいつも市民向け事業などを協力して行っている旭川青年薬剤師会会長(1名)の計6名のみが男性。
あとは女性ばっかりの会です。
男性薬剤師では僕が会場入りが一番乗りです。
会長や役員さんとご挨拶をして後ろのほうで座ってると、
(≡^∇^≡) 「あっ!Hi先生!カメラ持ってきた?」
(* ̄Oノ ̄*) 「一応節目の席だから、誰も持ってきていないとまずいと
思って持ってきたよ」
( ´艸`) 「よかったー!私ももってきたんだけど」
とかいって小さいデジカメ。
Σ\( ̄ー ̄;) 「ああ、わかったわかった、任せておきな。」
\(^_^)/ 「やったーっ!」
ということで、急遽カメラマンをやることになりました。Σ(~∀~||;)
一応これでもキミタチから呼ばれた来賓なんだけどねー。 (*´Д`)=з
「あ、Hi先生、前のほうに座って!来賓なんだから」Σ(゚д゚;)
「どっちやねん!」 ( ̄□ ̄;)!!
ここ数年の間に旭川薬剤師会は100周年を、旭川市学校薬剤師会も50周年を迎えました。
実は僕は最近仲間入りしたばかりではありますが日本薬史学会の会員です。
薬史学会っつうのは読んで字のとおり、薬(若しくは薬に関するよろずごと)の歴史を研究する学会です。
だからこうした歴史には少なからず興味があります。
旭薬の100周年も、旭学薬の50周年も、その記念誌の編纂に深くかかわりましたが、その過程で触れたさまざまな先達の功績、職業意識の高さ、克己心は大変すばらしく、とても僕には真似できないなと思うようなことばっかりでした。
今でこそ旭川の薬剤師会と女性薬剤師会はとても仲が良いですが、35年前はどうだったのか、、、。
組織を立ち上げるというのはエネルギーの要るものです。
やはり先輩たちのパワーはすごかったんだろうなとつくづく思います。
でもなんだか薬剤師会より居心地よかった感じ。
玉音放送・・・
記録という意味でまたも貼り付けておきます。
終戦時、陛下ご自身による玉音放送 がありましたが、その全文が知りたくて探しました。
別に右寄りとかそういうことじゃなく、「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」のところしか知らないでしょ?
本当の文章をはじめて全文見たけど、今の日本は陛下の描いた日本に近いですか?
Ameba Visionにうちの店登場してた!
dora-dounai さんがAmeba Vision に投稿されているドライブ動画の中に、うちの店が映っている部分を発見!
ちと嬉しい。
このルートは旭川市の1条本通りを、東光方面から中心部に向かって走行されているもので、スタート地点の交差点真右にはミサワホーム、左折方向斜め前方には除雪機を買った「ホンダアルファ」があります。
スタートして42秒後に第一回の信号停止がありますが、そこの左は住宅地図のゼンリンさんで、右側の茶色の工場は今現在取り壊され存在しません。
2分20秒くらいのところで青信号を超えた左側にある赤い屋根のお店は「よしの」という有名ラーメン店の本店です。
この時点で右前方に見えてきている茶色の建物は旭川東警察署・北海道警察旭川方面本部で、その向こう側のクリーム色の建物はJA旭川厚生病院です。
わが店はその向かい側になります。
2分38秒程度から左前方にコカコーラの自販機が見えてきますが、これがうちの店です。
ちょうどチャリに乗ったおばちゃんが走っていきますが、信号で止まります。
ここで真左は内科医院、左斜め前の白い建物は歯科医院、真右は厚生病院です。
おばちゃんは信号無視ですか。
3分40秒くらいのところで差し掛かる交差点、その手前にはツルハの大看板、右前方にはダイイチの看板がありますが、現在ダイイチの看板下にはINAXのショールームが建ちました。
その後もドライブは続きますが、うちの店のご近所はこんな感じです。