広島に着いて直ぐに母ちゃんの墓に向かった。陽は沈みかけていたけれど掌で撫でた母ちゃんの墓石は熱く暑がりで汗かきだった母ちゃんを思い出し冷えたビールでも買ってきてやればよかったかななんて考えていた。


墓参りのあと親戚の叔母の店に寄り突然広島に帰った理由をボソボソと喋りながら夕食を食べ、情けないくらいに脆かった自尊心を哀れに思った。


一夜明け昼前に再び車に乗り込んだ僕らは時間の流れが少しでも止まった場所へ行きたくて広島の喧騒から遠く離れた場所まで走った。


三段峡の渓谷を汗だくで歩きながら土を踏むザクザクという音と激しく流れ落ちる滝の音を聴きながら心が少しずつ静かに穏やかになっている自分に気付く。



浅瀬に降りて掌にすくった小さな魚を見つめながらまるで自分のようだと思う。



そして福岡へ帰る途中、宮島のSAで小さく弾け流れる花火を家族三人で眺めている。



夏が静かに終わろうとしていた。



きっとまだ誰も気付いてはいなかったけれど。






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これから先のこと。


自分の病気のこと。



そして大切な家族のこと。


母ちゃんに話してきます。



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糸島に遊びに行った翌日のこと。

いつも通り朝起きて仕事に出掛けました。

途中昼食用の弁当を買うためにコンビニに立ち寄り少し時間があったので缶コーヒーを飲みながらボォ~っとカーステレオを聴いていたら突然動悸が激しくなりずっと心の中で抱え込んできた仕事の不安や対人関係やいま背負っている仕事の重責やらで押し潰されそうになり出勤時間を過ぎてもコンビニの駐車場から動けない自分がそこにいました。

とにかく今日は働けそうにないと思い職場の上司に連絡すると『今日は忙しいから昼からでも良いので出てきてくれないか』『そもそも仕事にたいする不安やストレスは誰でも感じているものでそんなことで仕事を休むのは無責任じゃないですか』『家族がいるのにそんなこと言うのなら何故結婚して子供まで作ったんですか?そんなんならずっと独身でいたらよかったのに』

この年下の上司にはこんな状態になるだいぶ前から仕事に対する重責や仕事中つねに何かに追い立てられるような切羽詰まった精神状態であることを伝えてきたんですが結局体験してないことは誰も理解できないみたいで『そんな思い詰めないでもっと気楽な気持ちで働けば良いんですよ』と在り来たりな返事しか貰えませんでした。

そしてそんなことはまるで御構い無しのように日に日に複雑なセクションへ回され頭と体が追い付かないのを廻りの同僚達に悟られまいと家に帰ってからも翌日の献立表を見ながら心臓病患者には減塩用の膵臓病患者には油を使わない献立に書き換え他にも腎臓病、糖尿病、胃潰瘍、痛風、脂質異常…他まだまだ沢山のメニューの区分けやそれぞれの病人の人数の割り出しを毎晩二時間くらいかけて行いやっと次の日の不安が軽減されるという毎日を送っていました。そこまでしても夜何度も何度も仕事の夢で目が覚めて早番の時はだいたい四時半に家を出るんですが二時とかに起きて気持ちを整えないと頭がパニックを起こすという自分でも理解できない心理状態でした。そして休みの日でも日頃早起きしてるんだから昼過ぎまで眠りたいんですがそれでも四時とかに起きてボォ~っとテレビを観てる。なぜゆっくり眠らないのかというと例えば昼過ぎまで寝てしまうと次の日の出勤時間がすぐに来てしまう。それが怖くてどんなに疲れていても無理矢理リビングまで這い出てまだ暗い早朝から起きてる。それでも家族三人で暮らすようになってから少しは気持ちも落ち着いてきたように見えていたんですが例えば休日に家族と遊びに出掛けます。綾希も笑顔ではしゃぎ廻り嫁さんも隣でニコニコと笑ってくれていてとても幸せ。だけど昼の二時を過ぎたあたりから頭の中はもう翌日の仕事のことでいっぱいになっている。五月にこの病院の厨房に転職してから三ヶ月間、ずっとこんな毎日を送っていました。

そして昨日、本当にすがる思いで生まれて初めて心療内科という所に行き診察を受けてきた。



『病名、鬱病』


この病気を受け入れるのは正直抵抗があったけどだからといって医者のこの診断を振り払うだけの強い気力もなかった。

医者は診断書を書く際に『一ヶ月、もしくは三ヶ月くらい静養が必要と書きましょうか』と言われたけどそこは敢えて『一週間』にしてもらった。一ヶ月も三ヶ月も静養していたらそれこそズルズルと落ちていきそうな気がしたから。



そんなこんなであまり元気じゃないけど僕は何とか生きてます。



最後にこの長く重く暗い文章を読んだ知り合いや友人達が僕から遠ざかって行かないことを願って。



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