【悟り】人は実体がなく、身体のなかに存在していない | 【ブッダの真の悟り、解脱を体現したい方のための専門指導】 世間にはびこる偽物の悟り、覚者達から離れ、自己の真相を体現したい方の場

「自分は素晴らしいなぁ」

「自分は凄いなぁ」

「自分はカッコイイなぁ」

「自分は美しいなぁ」

「自分は思いやりがあるなぁ」

「自分はやさしいなぁ」

「自分は成功しているなぁ」

「自分はしあわせだなぁ」

「自分は生きているなぁ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そのような思いが、

その時の今の事実の様子として現れただけであって、

素晴らしい自分も

凄い自分も

カッコイイ自分も

美しい自分も

やさしい自分も

成功している自分も

しあわせな自分も

生きている自分も

 

 

 

 

 

 

 

この宇宙には

禅の今の事実の様子

現実の事実として、

そのような固定的な自分、

そのような人は実体がなく

身体の中に存在していません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「自分はだめだなぁ」

「自分はなさけないなぁ」

「自分はクズでポンコツだなぁ」

「自分は馬鹿だなぁ」

「自分は失敗したなぁ」

「自分は存在価値がないなぁ」

「自分は死にたいなぁ」

 

 

 

 

 

 

そのような思いが、

その時の

今の事実の様子として現れただけであって、

だめな自分も

なさけない自分も

クズでポンコツな自分も

馬鹿な自分も

失敗した自分も

存在価値がない自分も

死にたい自分も

 

 

 

 

 

 

この宇宙には

今の悟りの事実、

現実の事実として、

そのような固定的な自分、

そのような人は実体がなく

身体のなかに存在していません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「自分って素晴らしい素敵だなぁ」

「自分は生きてるなぁ」

 

 

 

 

    「自分ってどうしようもなくクズでポンコツだなぁ」

    「自分は死にたいなぁ」

 

     

 

 

 

どちらも、その時の今の事実の様子として浮かんだ思いであり、

 

 

 

 

 

そして今はもう、その時生じた浮かんだそれらの思いは、

跡形もなく滅していて流れ去っており、

 

 

 

 

どちらの思いも流れ去っているので、比較しようがなく、

 

 

 

 

どちらの思いもとっくに流れ去ってしまっているので、

いいとか悪いとか判断のしようがありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あなたが存在していて、

意思を持って意図して思っているのではありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

身体は宇宙現象の一部であり、

勝手に機能として、

働きとして

自然に思われちゃっているのです。

 

 

 

 

 

 

宇宙現象の一部として

勝手に自然に浮かんでいる思いを

出てこないようになどと、いっさいコントロールできません。

 

 

 

 

 

 

 

コントロールできる誰かは

もともと身体のなかに今の事実として存在していません。

 

 

 

 

 

 

 

 

それなのに

個人が存在している前提の

瞑想や世間一般の坐禅や

祈りや内観、

潜在意識やチャクラやヒーリング

心理学

などの概念で、

自分という、もともと実体のないものを立てて

理想通りにと作為して、思いや感情、身体を都合の良いように

コントロールしたがります。

 

 

 

 

 

 

 

 

今の事実として、

もし、自分が身体側に存在していたとしたら、

身体も思いも感情、身体のすべてを

自分の好き勝手にカスタマイズして、世間一般で言われているポジティヴなモノだけにとっくに出来ているはずですが、そのようにできませんよね。

 

 

 

 

 

 

 

それでも、自分が存在していると思い込んで

理想通りにしようとコントロールしたがる

観念上の実在していない考えそのものこそ、

仏道における消滅させるべき

実体のない架空の自己なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

創意工夫して

意図して理想通りにと作為して、

思いや感情や意識をいじくろうと

引きずってコントロールしようとするから

余計にこじれて問題になり、

思いが頭のなかで風船のように大きく膨らんでしまい、

 

 

 

 

 

 

苦悩や迷いの考えの中に

深く入り込んでしまうことになり、

念が大きく膨らみ、念と同化して念に自身が潰され、

余計に苦しみを増大させてしまっていることに、

人間は気づけていないのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

一度、ひどく苦しめられて、

そのことを自覚するようになると、

思い方に気をつけるようになります。

 

 

 

 

 

 

ブッダの悟り、解脱の体現に与ると、

人間的考え方で、物事を深く追求することから、

足を洗うのです、