千姫 研究

千姫は安土桃山時代~江戸時代初期に生きた女性で1666年3月11日没(70歳)

豊臣秀頼、本多忠刻の正室。

父は二代将軍の徳川秀忠。 母は継室の江(ごう)。祖父は徳川家康。

母の江と言うのは織田信長の妹、お市と兄信長によって滅ぼされた近江の戦国大名、浅井長政との間に生まれた三姉妹の末娘。

 

 

豊臣秀吉によって柴田家等離縁再嫁入をし、秀吉の養女となり三度目の輿入れがライバル徳川家康の後嗣二代目徳川秀忠(当時17歳)で江は6歳年長の23歳だった。勿論政略結婚であることは双方承知の上。(その頻発政策が秀吉亡き後に悪しき前例として石田三成の重荷になるが・・・・・・)

 そして2年後の1597年生まれた初子が千姫であった。

家康にとっては孫になる。

 

 

 そして千姫にまつわるこんなエピソードもある。

千姫は慶長8年(1603年)数え7歳で豊臣秀頼とこれまた政略結婚というより殆ど人質。

慶長19年(1614年)の冬の陣に続き翌夏の陣ではいわゆる「千姫物語」が、丁度ハリウッド映画「卒業」(マイク・ニコルズ監督、主演ダスティン・ホフマン、キャサリン・ロス)の設定シチュエーションにそっくりなのである。

あまり褒めたものではないが当時の流行り略奪婚で少子化に歯止めをかける。いや狙った獲物は逃さないという動物の本能か。特異なパターンである。

いや、こちらの千姫物語が本家本元なのかもしれない。

 状況は慶長20年(1615年)夏の陣、前年に濠堀を埋めた徳川東軍が大阪城に攻め入る。翌年の161661日に家康は鷹狩りで食した天ぷらが当たったとかで没しているが前年のこの時は大阪まで参戦していたのだろうか。参戦していたとすれば74歳で強靭な不死身体質といえよう。

その家康が孫娘を取り返しに来たのか、目の上のタンコブは取るまで死ねないというのか、兎に角大阪城まで攻め上ってきたのである。

 

 

ここから先はエピソードだから歴史学術的に細かいことは省くが、この夏の陣で大阪城が今にも落ちんとする時、家康は陣中にこう布令(ふれ)を発した。

「城中にいる千姫を救い出した者には、わが孫娘を嫁にとらせよう」と、諸将に布令(ふれ)た。

それを聞いた坂崎出羽守は目の色を変えて味噌のついた握り飯を胃の腑に収めるや槍をしごいて、あらぬ一点を見て配下の者数名を従え勇猛果敢に吶喊(とっかん)した。

敵の兵を蹴散らしてみるみる城内奥深く突進していく。鬼神これをも裂く・・・・・・か。

人が変わったように。人参を目の前に出された種付け牡馬(おすうま)か。まるで狂気の沙汰だ。

あれよあれよと言う間に天守閣まで駆け上った。そこで配下が倒れようが何しようが構うことなく「ガオー」と千姫を見つけるや否や、さっと肩に担ぎあげ簒奪(さんだつ)するように駆け下りてくる。

 

 

 そうこうして焼け落ちんとする城中から気絶している千姫を。ちょっと待て、千姫は坂崎出羽守の獣ぶりに失神したのではないのか?

そうかもしれない、然しここは大人の家康。

「よくぞ千姫を連れ出してくれた。約した如く姫はそなたに呉れてやろう」

 

 

 然し、ここがハリウッド映画と違うところで、どうも千姫は(うん)と云わん。

どうも出羽守は姫救出の際に大やけどをして、双目と見れないユニークフェイスになってしまったのだ。これじゃ会う度に気絶してしまいそうである。

以来千姫は恩人ではあるが不躾な出羽守を蛇蝎のように忌み嫌った。

家康も困惑したろう、約定とはいえ無理強いすることもできん。

 その一連のエピソードには後日談があって、千姫は反動かあてつけなのかイケメンの本多忠刻と婚儀が調い輿入れせんとすると・・・・・・。

黙ってはいられないのが、件の出羽守。だが、ここでは本人の名誉の為に割愛す。