あったか~い風呂もいいが、今年は明治150年であるから、なるべくそれに沿った芯から熱くなれるような題材をどんどんくべて燃える熱気をたぎらせていきたい。

 

 ペリー来航(1853年)から明治維新(1868年)までの15年間に国内では佐幕派だ尊王攘夷だ、などと主義主張の為に血で血を洗う内戦が繰り広げられ、また同時に数多の英雄豪傑がキラ星のごとく浮かんでは消えていった。

 

 

 そんな中、大政奉還(1867年)、江戸城無血開城(1868年)といった歴史の大転換期を国威を損なわず円滑な政権移行を遂げた新政府人物として明治になって振り返った旧幕府の軍事総裁・勝海舟がこの人無くして当時の江戸は火の海にならず、また日本は列強の植民地にならずに済んだ。としきりに国家の恩人として賞賛するのがかの西郷隆盛である。

 

 確かにこの人が居なかったら、ノーブレスオブリージュ(武士の情け)もなく日本史に汚点を残すような悲惨な政権交代が行われたかもしれないのである。 そうしてみるとこの人の統率力というか将卒ことごとく従う仁徳や実にあっぱれである。

 

 彼は元陸軍大将であり、征韓論で敗れたのち帰郷先の鹿児島で私学党や旧士族などに担がれて、またやむなく現政府軍相手の戦争ごっこを始めたが、熊本鎮台~田原坂~城山で被弾し自決(1877年)するというなんとも人間的魅力溢るる人物として日本史に欠かせない英雄豪傑の一人であることは皆さんご存知のとおりである。

 

 だが、実際どういう考え方をしていたのか、ということは今では背びれ尾びれがついて実態とは乖離して偶像化されているであろうから、ここでは実存する彼の書に基づいて考察することにする。

 

まず彼の書で有名な扁額

 

 敬天愛人

天を敬い、衆人を愛す

これは人間の理ですね。

それはどこから来たか、訪ねてみました

 

 桜島ですね。

 

活火山なので噴火もあります。

 

 

市内は火山灰で苦労します。

 

そこではこんな  イベントも行われました。

 

 話しが現代にそれてしまいましたが、薩摩藩当時、外国からの脅威とか活火山・桜島のエネルギーは郷中(ごじゅう)教育、徒弟制度を組織化、仲間を思いやる連帯責任制もあったでしょう。そして生麦事件に端を発した薩英戦争(1863年)などが土台となり西欧列強と鑑みて幕藩体制の危惧から薩長同盟~討幕~新政府樹立へとつながっていきました。

 

 上の画像にある桜島ライブで人口約6千の島にどこからともなく7.5万人集まったというのも分かるような気がします。

いや、それは西郷さんの思想とは直接には関係ありませんが彼の育ったあつい土壌という背景はうかがえると思います。

 さて、それではここで、西郷隆盛が詠んだ漢詩を挙げておきましょう。

 

「貧居、傑士を生じ、勲業、多難に顕る。 雪に堪えて、梅花麗しく、霜を経て楓葉丹(あか)し」

 

これは、貧しい家から優れた人が育ち、輝かしい仕事は 苦労の中にこそあらわれる。

雪の寒さに堪えてこそ梅の花は美しく、霜が降りてしばれる季節も経てこそ、楓の葉も赤くなる。

梅の花や紅葉が厳しい季節を経て美しく成熟するように、人間も苦難を乗り越えてこそ初めて立派な仕事ができるようになる。

 

 

という自然界の意味を充分理解していたからこその大事業を成し得た徳が備わったのだと思いました。

そして、人や子らには寛容の愛を。

人を育てる歓びを知っていたのだと思いました。

 

 

さて、それはいいのだが、今年は記録的な寒さとかで、月曜日に降った積雪がまだ道路に残ってるという。これは地球温暖化の揺り返し、反動で正常化に向かって地球が自浄作用しているのかとも思えるし、また小泉ジュニアが言うように、「これからは、気を引き締めて、と天から言われているようだ」と人間に対する警告のようにもとれる。

まさに「敬天愛人」然り。

 

 

さて、今日はここまで。 

 

ぶるっ、寒い、風呂に入る。