下久保ダムもずいぶん水位が低下しています。
このあたりが埼玉で一番早く法的に認定された「虚空蔵の湯」のあった場所ですよ。古くから秩父七湯のひとつ、簗場の湯と呼ばれていた冷泉です。
写真を撮った場所は群馬県で対岸が埼玉県なわけです。
すぐ傍の太田部橋を対岸に渡って右に進むと、石碑があります。石碑によれば、「ここより約100m下」なので、水位が減って川状態になっていても、更にその下、上流からの堆積物の下ということになると思います。
先日、この湯に入ったことがあるという方にNINOKURAでお会いしました。写真の愛好家の方で、写真についてお話をしているうちに、そのような話になったのです。こじんまりとした2人も入るといっぱいな浴槽だったそうです。
ダム建設にあたって、移設も可能だったようですが、宿を営まれていた方は藤岡にすでにお住まいになられていて、継続する意思がなかったという話はインターネット上で読んだことがありましたが、今回、じっくりと石碑を読んで(そもそもこの石碑の字を書かれた方は昔から存じ上げていたのですが)、建立された方にちょっと心当たりがあることに気がつきました。
私がたまに行く蕎麦屋さんですが・・・、どうも先代さんなのではないかなと思いましてね。人伝に聞いたらその先代さんの仲人をしたのが、字を書いた方だったので確信しました。
もう先代さんはお店に出ていないので直接聞くまではしておりませんがね。お嫁さんに聞いたら、「おばあさんが宿をやっていた」ということで息子さんということなんですね。
と、わかったところで、もう入れませんからだからどうということでもありません。ちょっと歴史が好きなだけです。
ちなみに、簗場の湯の由来については、埼玉県立文書館に収蔵されている「太田部新井家文書」に記されていますが、この古文書の他の冊子と比べて字体などが異なっており、比較的に新らしい時代に書かれたような感じです。