かみなりのブログ

あれこれ言われる雷対策。

「現実こうだ!」を中心に書いていきます。
「痛いこと」も書きますから、会社には叱られてしまうかも
しれません。

※本ページは信越電気防災株式会社社員の個人ページです。
※本ページは信越電気防災株式会社に認められています。


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政府は、竜巻や局地的な豪雨、大雪などの予測体制を強化するため、米国で導入されている気象観測ボランティア「スポッター」制度を来年度にも導入する。


観測データに表れないが、目で見える異常気象の情報を集めることによって、警報や注意報の精度を上げ、迅速な避難指示などにつなげるのが目的だ。

スポッターは気象に関する一定の知識を備え、特異な雲の変化や激しい降雨などが観測された時刻や場所を地方気象台に無償で通報する。たとえば、予測が難しい竜巻の発生につながりやすい雲が見つかれば気象庁は注意情報を出すかの判断材料にできる。東日本を中心に大きな被害が出た今月の大雪でも、気温や地形の違いで、雨から雪に変わるなど予測の難しさが指摘されており、政府はより多くの情報が予測精度向上につながることを期待している。


ようやく「一歩前進」ですが、問題は日本の場合、「ボランティアでうまくいくか?」です。


ひとつには知識量の違いの問題がありますが、これはどうにかなります。難しいのは「米国レベルの高度なボランティア活動を官民ともにおよそ理解しておらず、成果を過剰期待している。」というところです。またしても予算を使うだけ使い、「成果が上がらない」として、「空中分解」してしまいそうな話です。


「ボランティア」という言葉が日本で使われ始めたのは最近のことです。「ボランティア活動」は、日本語にすると「奉仕活動」とされますが、実は日本の「奉仕活動」と例えば米国の「ボランティア活動」はその起こりも内実も全く異なることから、日本のマスコミが「日本の奉仕活動と米国などの一般的なボランティア活動は別物。」として使い分けを始め、一般には「この言葉だけが意味を理解されないまま」使われている実態があります。


「ボランティア」 volunteer の原義は「志願兵」であり、歴史的には騎士団や十字軍などの宗教的意味を持つ団体にまで遡ることができます。そしてボランタリー(voluntary)とは自発的であるさまを表します。


ボランティア活動の原則として挙げられる要素は一般に「自発性」、「無償性」、「利他性」そして、「先駆性」です。他にもありますが、この中で「先駆性」といった概念は、ボランティア活動が既存の社会システム、行政システムに存在しない機能を創造的な自由な発想で補完するという役割を担うことから発生したものです。


労働力としての無償ボランティアは被雇用者のように組織から強い拘束を受けず、また自発性に基づく行動であることから、組織が強制してボランティアを動かすことはおよそ不可能です。


また無償ボランティア活動に参加する者は、通常、職場や家庭などで緊急の用件が発生した際はそちらを優先します。無償ボランティアにはこれらの特徴があることから、会社組織などとは異なるマネジメント手法が必要となります。


米国は「ボランティア大国」であっても、決して「奉仕大国」ではありません。


今の米国の「ボランティア」の起こりは、開拓時代です。広大な国土、政府機関の統制がきかないことから、民衆が、「自分たちの身は自分たちで護る」ために「協同する」ようになったのがはじまりです。つまり日本語に正しく翻訳するならば、「奉仕活動」ではなく、「無償協同活動」、「ひとりは皆のために、皆はひとりのために。」の精神の上に成立しているものです。200年以上の歴史ある米国の「無償協同活動」は今日、米国民一人一人にまでしっかり浸透しており、あくまでも「自発的」に、かつ「責任を持って」遂行されています。


対して日本の「奉仕活動」は「誰かが皆のために」の「一方的なもの」であり、それが「美徳」とされます。日本の場合、奉仕活動=何の報酬も求めない、かつ責任ある挺身活動、とすぐに「都合よく」、「崇高なもの」に「祭り上げられ」、「奉仕者は例え死亡したとしても決して報われないのが当然」ですが、米国は違います。米国の場合、「ボランティア活動」には必ず「報酬」が伴います。それは「責任を持って遂行する」ことに対して「支払われる」、「第三者によって客観的に認められる=社会的信用」です。これは命の次に重い最高の代償であり、およそ金銭に代えられるものではないことから「無償」なのです。もちろん不幸にして「犠牲」ともなれば、遺族などに対して十分な補償がされます。そしてこのような米国では昔からボランティア活動に参加しない人の社会的信用は低く、結果、収入も少なくなることから、米国は「ボランティア大国」となっているわけです。


米国の「ボランティア精神」、すなわち「ひとりは皆のために、皆はひとりのために。」の生みだす結果の「恐ろしさ」をはじめて公式に指摘したのは旧日本海軍の有識者達であったと言われます。対米戦画策時、「米国民は、普段はバラバラだが、「民衆に対する敵」に対しては国家ではなく民衆が自発的に一丸となって対抗してくる。これはときに米国政府をもってしても制圧できないほどに強力なものになる。米国政府をもってしても制圧できないこの力を、日本が国家として制圧することなど不可能に近く、日米政府間の和平交渉の妨げとなり、収拾がつかなくなる。」として対米戦に反対したのが旧日本海軍でした。そして事実、日本はこの民衆の力に負けたと言っても過言ではありません。


また、日本では古くから無線家達がこれを知っており、大正時代に米国のARRL(American Radio Relay League )に倣い、JARL(Japan Amateur Radio League)が結成されています。違いは「Relay」のところ、ARRLはアマチュア無線を第三者のための無償中継回線などとして活用するために結成された「ボランティア団体」で、古くから例えば有料回線、つまり電話線に全面自己負担で無線設備を接続するといったサービスを実施してきました。対してこれは日本ではごく最近まで「法で禁じられていた」行為であり、ものすごい差があることがよくわかります。


そして日本の戦後放送、その監視体制には日本独特の「委託監視制度」が導入されました。米国の場合、ボランティアによる監視体制とされているのがほとんどですが、米国のボランティアの実態を既に知っていた当時の日本の関係者は、日本では無償での監視体制構築は不可能と判断、有償、全機材支給をしてのものとしたわけです。これは今日でも全く変わっていません。


つまり、概ね100年を費しても、日本には米国流のボランティアは全く普及しなかったという実績があるわけです。国民性によることがはっきりしてもいますから、今後100年、200年を費やしたところで、これは変わらないことは明確です。

さて、言ってしまえば「報酬のある」米国の「スポッター」は、知識のみならず、相当な観測機器を自己所有し、責任を持って活動しています。さまざまなタイプの「パーソナルユース雷検知器」が製造販売されているのもそのためですが、今や気象レーダーすら、自己所有するスポッターも増えています。その投資規模は数千万円にもなりますが、社会的信用が得られ、二次的に自らをさらに豊かにすることができることから、個人のスポッターでも相当数が気象レーダーを所有しており、結果として「民力に支えられている」NOAAの気象観測精度は世界一です。


日本ではどうか。はっきり言って無理です。「搾取されるだけ」の日本の「奉仕者」は頑張りようがなく、高価な気象観測機器の「個人所有」などとんでもない。よって「変な雲があります。」「強い雨が降ってきました。」といった「主観的な報告」までが限度、米国並みの高精度はとても期待できません。


大体、日本で雷対策が進まないのもこのあたりに原因があるのです。米国の進んだ雷対策は、まずはボランティア活動、すなわち民衆の自発的行動から始まり、それが国を動かすまでに大きく成長した結果です。


もちろん、「やらないよりはまし」でしょうが、今のこの内容では「日本流完全奉仕活動。責任を押し付け搾取するだけ。」であり、「虫がよすぎる。」とはまさにこのことでしょう。ボランティアは、あくまでも自発性に基づく行動であることから、組織=国家が強制する=あれやこれやと要求することはそもそも不可能であり、日本的な発想では、その専門性が高くなればなるほど実現不可能なものとなります。

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