なんのきっかけで浮かんできたのかわからないけど、ふと、 
人と近づいたり離れたり、つながったり離れたりって、そういうのはたぶん 
縁が紐のようにより合うというより、リズムが一致する瞬間瞬間が連なって、
線のように見えてるってことじゃないかなって思った。 

ずーっとつながっていると思うのは願望でしかないような気がして、 
人々が(私も)夢見るような”つながった/つながっている”を実感しているには、
それを事実とするためには、その間中”私は◯◯とつながっている”という思いを
発信し続けてなくちゃいけないんじゃないだろうか。 
それこそ、24時間- 86400秒絶え間なく。。。

「深いところで皆つながっているんだよ」それは知ってる。それはそれ。

だから、じゃあ誰かや何かと”接触”するときっていうのは、何が働いてるんだろう? 
そう思ったら見えたのは、”-・・-・ 信号を打っている ・--・・・-”というイメージだ。 
変光星/パルサーのように、強くなったり弱くなったり、 
強く連続して打ってるときもあれば、弱く間が開いた信号なこともある。 
意志が必要だけれども、意志だけでコントロールはできない信号。

パルスを打つもの同士の、刻むリズムのタイミングが重なる/共鳴した瞬間が、つながった瞬間。
ランダムに見えた律動が、一致して刻まれる時間。 
だから、より”数多く”その瞬間を持ち続けられる可能性を持つ人と出会えることは、貴い。
でも、それに執着はしちゃいけないんだろう。とも思う。

”パルス”っていえば……。 
DOVERSTREETMARKET・GINZA の1Fから6Fまで貫かれた、名和晃平さんの作品のタイトルだ。。 
あの「Pulse」にこの考えを重ねると、あの空間に見出せる意味も自分なりの捉え方ができる。
そこに居る人々、通りすぎる人々、様々なアイテム、
建物自体などが発信するパルス/各々が刻む律動 が 
あちこちで一致したりバラバラになったり、つながったり離れたり… 
そういう邂逅の場と時間を象徴しているように見えてきた。 

それと、"アートは間に在るもの”という考えが元からあった。 
人と人、人と人ならぬもの、人ともの、ものともの、この領域とその領域、その分野とあの分野… 
アートはアートとしてそこにあるけども、遠くと遠くをいとも簡単に融合させることができるものでもある。 
また訪れる機会があったら、前とは違う気持ちで見つめることができるかも。 
…と言っても、現実的には商業空間なので、服じゃなくてエスカレーターの方ばかり見ている客がいたら 
キモチワルイでしょうけどね(笑)販売員してたこともあるので、そっちの気持ちもわかる。

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