大学生娘は中2の5月とかわりと年度初めの時期に、「もう学校いかない」と宣言し、学校に行かなくなりました。
もともとそんなに学校大好き!な子でもなく。部活は1年の時は吹奏楽部だったけれど、どうも合わなかったようで。 

というか、本人ははっきり言いませんが、先輩からいじめられたんじゃないかな。

そこはもう少し成長してから(って、もう大人なんだけどね)聞いてみようかなあと思っているのですが。 

私は、学校に行かないなら無理して行かなくてもよいと常々思うタイプでした。学校がどうでもいいというのではなく、学校に行くことで我が身を削り、死なれるようなことがあるぐらいなら行かなくていい、というスタンスでした。当然、学校に行かない場合の学習面のケアとか、学校とのやりとりとかそんなことは全く想像できず。当たり前といえば当たり前ですが、どこに、だれに相談していいかも分からなかった。

 

 

 

学校に行かない宣言をしたものの、ただ「ああそうですか」と受けるわけにはいかない。行かないなら行かない理由を文章にして、担任の先生に渡せ、と告げました。 

娘は手紙を書き、担任の先生に渡しました。私は中身は見ませんでした。 

後日、担任の先生から手紙を見せてもらいました。 

具体的に何が原因で、どんなことをされたからいやだったとかは一切触れず、当然個人名も出さず、非常に抽象的な概念をつづって、でも、「行かない」という決心の強さをにじみだした内容でした。 

担任の先生は、校長先生にもこの手紙を見せて相談したようです。 

後日、夫と二人、校長先生と担任の先生、学年主任を交えて面談したときに、校長先生が「この手紙には強い決意が見られる。下手に登校を促すより、休ませた方がよいだろう」とおっしゃいました。 

その通りで、もしも無理に学校へ行かせようとしたら、行き場のない娘は死んでしまったかもしれません。 

不登校の理由は10人いたらそれぞれで、一概に「これ」とは特定できません。 

体調不良の子もいると思うし、いじめを苦にする子もいるでしょう。ただ居場所がないから居づらいと思う子もいるだろうし、本当に何が原因か分からないのです。でも、かなしいかな「甘えている」とか「気持ちをしっかり持たないから」と、誤解されやすいのも事実。 

ただごろごろしているだけに見えたりするんでしょうかね。本人の心の中はすごい葛藤があって嵐が吹いているかもしれないけれど、表面上では平静に見えるから、「何してるんだ?」となってしまうんだろうけどね。 

とにかく自分の強い意志で学校に行かない選択をした娘を受け入れることにしたのでした。 

基本は「死なれるよりまし」。
普通、ここまで考えませんかね?でも、私は常に最悪の事を考えていたんですよ。 

本人はベネッセの通信講座をこつこつとやりながら、週1回、私の友人のお姉様が主宰する個人学習塾に通わせましたが、勉強は二の次だったな。案の定、あんまり勉強した形跡もなく、学年でトップクラスだった成績はかなり落ちていたと思います。テストも受けない状態で、ただ、通知表は来たから、それはもうびっくりするような成績だったよ。

評価はそれぞれの教科担当次第。授業に出ていないし、テストも受けていないから、5段階で「1」を付ける教師もいれば、受けていないから評価できませんと、「―」と評定なしで出してくる教師などさまざまでした。特に決まりはなく、教科担当の考え方次第だったようです。

うちの地区は、3年生の評価が内申に関わってくるので助かったといえば助かったけれど、出席日数なんかは報告されるので「あら?」と思われることはあるかもしれない。
 

うちは、中2で不登校になったけれど、高校は公立のトップ校またはそれに準ずる学校にいくものと、漠然とではあるけれど思っていたので、出席日数や内申のことは正直、全く気にならないと言えば嘘になりますね。 

自分でもはたと行き詰まったんだけど、学校はいかなくてもいいけれど、じゃあ、その先の高校入試は受けようと思っていて、どこかから他の子と同じ土俵に立たなければならないんだけど、それが十分できなかったら「欠席が多く、協調性のない子(ある意味協調性は長けているとは言い難いですが)」の烙印を押されて、いろんな場面に不利になってしまうということかな? 

他の子は行けてるのに、あんたことの子が行けないのは心が弱いからだ、がんばりが足りないからだ、努力不足だ、と思われても困るんだけど。

優遇しろと言いたいのではなく、学校行かないなんて選択は究極の選択で、それは子どもの命を守るためにそうせざるを得なかったのに、それでも「欠席が多く、意欲がない」子と見なす?

他の子にできることがごく少数の子にとっては命をかけるようなことで、だから守っているだけなのに。
 

自分が子どもを守るために取った行動が、世間のスタンダードからすれば排除されるということがちょっと自分の中でも折り合いを付けることができませんでした。 

出席日数でいえば、保健室や相談室など、教室に入らなくてもとにかく学校にきさえすればカウントされたようです。 

でも、とにかく娘は学校に足を運ぶこと自体がいや。 

保健室は嫌いではなかったけれど、それは娘だけに限ったことではないので、たくさんの子が集まる。そして、その中には会いたくない子が何人もいたようです。 

だから保健室にも行けない。 

相談室という別室はあったけれど、狭い部屋に机といすがぽつんとあって、たまに先生がのぞきに来るけれど、授業をしてくれるとか手厚いフォローがあるわけではない(今は分からないけれど、当時は放置状態に近かったようです)。先生方も忙しいから、そんな個別な対応をがっつりできるわけもない。でも、それで出席日数になるならいいじゃんと思って、娘に勧めたことがありました。 

娘「あんなところに1日いたら気が狂ってしまう。そんなところにお母さんならずっといられるの?」と怒りました。 

相談室通いを勧めるのはやめました。 

学校外に、不登校の子が行くフリースクールのようなものがありました。ちゃんと市の教育委員会監理下で、半日ぐらいのカリキュラムを組んで物作りをしたり、ゲームのようなものをしたり。もちろん、自習をしてもいいんじゃなかったかな。 

そこに行っても出席日数になるらしい。 

でも、娘はとにかく決められた器の中で、誰かに指示されて何かをする気にはとてもなれなかったのだと思います。 

引きこもったわけでも、昼夜逆転して不規則な生活になったわけでもなかったけれど、娘は娘にしか分からない形で傷ついて疲れていたのだと思います。 

もうね、腹をくくりましたよ。 

この先どうなるか分からないけど、高校進学より命の方が大事。長い一生、1年や2年学校行かないからって何の影響があるだろうか。例えば80年生きたとしてその中の1年や2年なんて本当にたいしたことない。

そう思うと気持ちが楽になりましたね。

その1年間は、朝起きて顔洗ってご飯食べて着替えて、妹は小学校へ、親は仕事へ、娘はそのまま家に残って「ばいばい」。時々は犬の散歩にも行っていたし、買い物や遊びに行くときは普通に同行していました。 

週に1回担任の先生がプリントなどの配布物をもって訪ねて来られましたが。悪い先生じゃないし、熱心だったけれど、娘とはあまり合わなかったようです。
でもさ、全く何の音信もない担任もいるそうですよ。そんな中毎週欠かさず来ていただいたことは私はうれしかったんですけどね。