あいさつが大事なのは、何も大人だけではありません。
いやむしろ、子どものころから心掛けとかないと、大人になっても礼儀知らずとして総すかんを食らうやもしれぬ。

要するに、快いあいさつを大人になってもすっとできるかどうかは子どものころにかかっておる、と。

娘の習い事の教室に、中学生の子がいます。小さいころからの付き合いなので、子どもはもちろん、親の私のことも知らないはずはない。

なのに、教室で会って、ガッツリ目も合ってんのに、スルーするのはなんでだ?

いつもいつもそう。

あまりに続くので、意図的にやっているのでは⁉とこちらも不愉快です。
ま、所詮あちらは中学生。大人の私はいちいち引きずらないようにしていますが、度々不愉快な思いはしていたのでした。

ある時、意を決してこちらからあいさつしたら、ぼそぼそと返ってきたけど。

なんかね。

本来、コミュニケーションの潤滑油であるべきあいさつなのに、なんで不愉快にならなきゃいけないの?と。

しかしまあ、思春期の多感な時期だからね。

というわけで、その年代は総じてそんなもんだ❗
と無理繰り刷り込んだのです。

ところが。

連日ブログに記録している例の高校球児。
彼はとても礼儀正しい。
そりゃーもう、厳しい上下関係の強豪チームでやっていくにはその辺はしっかり備わってないとね。

試合の応援に親子で来ているのを発見すると、近寄ってきて「今日はありがとうございました」ってお礼を言うんだよ!

当たり前の行為かもしれないけれど、前段のあいさつで不愉快にさせられていた日常を思うと、何かほっこりする。

彼らはそれが当たり前で特にほめられることとも思ってないかもしれないけど、いやいやいや。当たり前のことを当たり前にするのはできそうでできない。

ん?
このセリフ、大昔に聞いた記憶がある。

…私の恩師が常々言っていたことでした。

歴史は巡る。
というか、普遍的。

大昔、やっぱり一つのスポーツに必死でひたむきだったころの自分を思い出した。

あの頃の自分がいたから今の自分がいる。
あんだけ厳しくきつい練習を乗り越えたことが自信になってるもんね。

あいさつもその時に徹底的に身に着いた。

あの頃はあまり、それがどんな意味があるかなんてなーんにも考えていたかったんだけどね。

教育って本当にいつ、どんな形で現れるか分からない。

あいさつ一つでいろいろ広がるなあ。