最近は言語化できなくなってきた | さかもとサンのブログ

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ウエイトリフティングやパワーリフティングやベンチプレスやボクシングや筋トレフィットネスやら
なんかいろいろをそれなりの期間やっている人が思っていることなどを記事にしているブログです。

何の本で読んだのかな。

本当は言語化された意味があったけど、その言語化された意味がなくなった習慣的所作や動作があって、それはその言語化が体の中で消化吸収されて動きだけ残ったものだというの。

最初は言語化された説明通りにやるんですよ。
何故それを行うのかと言うと「覚えるため」。

そもそも「覚える」とはどういうことなのか。
頭の中の記憶として入れておくことなのか、それを体現できるまでに昇華することなのか。
所作や動きだけ残ったものというのは後者の事ですね。

私が行ってきたウエイトリフティングのスナッチ、クリーン、ジャーク、クリーン&ジャークは、最初は人に教わったものを言語化して頭の中の記憶としてきました。

そのフェーズの段階でいろいろやったことや自分の経験や考察などを良く言語化して動画で話したりブログや資料でまとめていました、今思い返すと。
この時は非常に言語化しやすかった思い出があります。

しかし今は逆に言語化出来なくなってきています。
なんだかんだずっとウエイトリフティングの種目はいろんな形で続けてきたので、いよいよもってその動きだけが残っている状態、つまり体現することですべてが完結している昇華された状態ですね。

この状態を逆に言語化しろと言われても非常に難しいです。
頭の中の資料が全部フォームに落とし込まれてしまったので。
だってフォームに全部収まっているので今更脳みその記憶に入れておく必要がなくなったということなので。

教える仕事の人がこれになってしまうと少々不都合が起こったりしますよね。
というかおそらく教え方を変えなければならないのでしょう。
最近の私が動き方のテキスト資料とか動画資料を出さなくなったのはそのせいです。

パーソナルトレーナーは特に「テキスト」でなければならないのに「実行ファイル」になってしまってはダメなのかも・・・なんて最近は悩んでいます。

私の中で起こった出来事は「アスリートの中で起こらなければならない事」であり「パーソナルトレーなとして」ではないってことですね。

極めることが教えることにつながると思いきや、本当に極めると教えることが難しいんだなと知ることは出来ましたけどね。

でもそれなりの状態でちゃんと相手に教えることができれば良いのだなと、試行錯誤しながら頑張っています。

しかし私は前々から言ってはいましたね。
ウエイトリフティングのフォームは当たり前の習慣化するのが目標だと。
習慣化されたもの、当たり前のものに関して「重さの手ごたえがあった!上手く行ってる」はないと前に言った気がします。

私がウエイトリフティングを教える際に目指してほしいのはここですよ、習慣化です。

どんな重量でやろうが、回数とやろうが「手ごたえがあって良かった!」とか「重たいものを持ち上げてやった!」とかそんな感想いちいち持たない。

でも脳に記憶をしている最中や、脳から体に覚え込ませている最中は何らかの感想は持って良いと思います。
それらを全部フォームに落とし込むのが最終目標ですね。

まあ言語化しなくとも、動きを見れば「こうした方がいいなぁ」と言うのはたくさん見えてくるので、そこからアプローチすれば良いし、今はそういう形で教えてるかな。

後はね、人によって体現するのが得意な言葉、不得意な言葉が存在しているので、それに気づいて適切な言葉をかけられるようにする努力はしてますね。

ウエイトリフティングの指示の言葉も、同じ動きをしてもらうにも人によっては違う表現なのだから面白いですよね。

ボキャブラリが必要と言うよりも、コミュニケーションだなと思う今日この頃です。

だから相手が私とコミュニケーションを取るつもりがなく習得したいと思われてしまったら、私はおそらくその人に教えることが難しいでしょう。

そういう意味でも「相性」って大事だと思います。

この人とコミュニケーションを取りたい!と思われないとコミュニケーション取れないですから。

特に私などにコミュニケーションをしっかり取って教わりたいと思われないタイプですからね。
(日本記録取ったり審判員経験もしてるけど、好かれるには実績は無意味なようですからね)

だからこそ、私から本当に教わりたい!とコミュニケーション取ってくれる人には良い仕事としたいと、それに応えたいと強く思います。そういうは歓迎です(爆)