「東電社員」 | まつがはな くもにかけはし

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いち腐女子による 私的 二次小説ブログ



原発事故で背負った
「東電社員」という十字架

ネタりか コラム
(2012/7/26 20:00)


 2012年7月22日の『ニュース探求ラジオ Dig』(TBSラジオ)は、「福島第1原子力発電所。作業員の状況は今どうなっているのか?」というテーマだった。パーソナリティは荻上チキ氏と外山恵理氏、ゲストはミリオン出版の久田将義氏である。久田氏には、原発作業員への濃厚な取材を元にした『原発アウトロー青春白書』という著書がある。



 番組では、原発作業員が置かれた状況を、「浴びる放射能は?」「給料は?」といった一問一答のかたちで久田氏が解説していた。しかし、途中から電話で出演した愛媛大学大学院の谷川武教授が、納得のいかないことを力説したのが気になった。



 福島第2原発の非常勤の産業医を勤めている谷川教授は、日々、東京電力の社員の健康を管理し、病気の診療をしている。そんな彼が力説したのは、末端の東電社員は事故後に捨て身で作業にあたったことや、末端の現場で働く彼らには原発事故を防止する方策を提案したり実施するのは無理だった、と言うことであった。



 要は、東電の社員には二種類いて、ひとつは原発の運営に直接コミットできる上層部の人々であり、もうひとつは意見を言っても反映されないような「それ以下」の人々である。そして、「それ以下」の人々まで原発事故の責任をとらされ、社会から糾弾されたり非難されたりするのはおかしい、という主旨のことを谷川教授は言っていた。



 谷川教授の意見の中で、東電の上層部でない人々が必要以上に糾弾されたり非難されることに対する違和感は、筆者も抱いている。おそらく、これはメディアの報道が原因であり、そういう人たちと身近に接している「原発が立地する地域の人々」よりも、「ほかの地域の人々」が東電の社員を十把一からげにして「悪」と決めつけていることが予想される。



 他方、末端の社員だからといって、東電に正社員として入社し、東電という看板を背負っている限りは、原発事故の責任追及から逃れることはできない。外部から見れば、上層部も末端も同じ東電の社員なのである。原発の運営に直接コミットできるかどうかで、責任の重さが変わるというのは東電内部の考えであり、外部には通用しない。



 つまり、私たちは東電の社員を、「その責任は有限であり、末端の人々を責めるのは筋違い」という目と「東電の社員なのだから、原発事故の責任はある」という目と言う、このふたつの矛盾した視点から見る必要があると言うことだ。そういう意味で、末端の社員を徹底して擁護する谷川教授の意見は、ちょっと偏っているように感じたのであった。



 個人的には、末端で働く社員の責任が有限であることを理解しているし、彼らと上層部との差異は明確に理解している。とはいえ、末端であれ上層部であれ、東電の社員である限り、深刻な原発事故を起こした会社の社員であることに対する責任は、ついてまわらざるをえないのではないか、と思う。





(谷川 茂)