12月の初め、父にメールしました。

父が言うことがいつも間違えていると思っていたこと、私の気持ちを、はっきり伝えたのです。


95歳だから、思い込んだことはそのように記憶がすり替えられてしまう、とも感じていましたし、それはそれで仕方ないことと思っていました。


でも、妹からは、「父の間違いに対して、お姉ちゃまが何も言わないのは、父の魂に対して、間違っている。」「いつも、いい子の顔をしている」「私のことを(妹のこと)庇ってくれたことがない。私は、いつもお姉ちゃまを庇い、父とぶつかって来ている。」など言われていました。


今回、私も、父が、亡くなっている母方の祖母や伯母のことを悪く言い続けるのが耐えられず、同時に妹のことも悪く言うのを注意するチャンスと思い、メールしました。


私の中に、父が仕事でいなくて、幼い頃は祖母、祖母が亡くなってからは伯母に支えられた、育てられたような気持ちであること。母の病気や家族の在り方、自分自身のことを父に相談したり、話したりできなかったことを率直に伝えました。

そして、父が、そのように祖母や伯母を悪く言うのは耐えられないし、私自身は、父と母が別れる方がいいのではと、思っていたことも書きました。


95歳に対して、酷いことでした。


昔の父はもっとイラつく人で、父さえ穏やかでいたら、母が病気にならないのではないか?と思って、私はいつも、おとなしく、言うことを聞く娘でした。

とても、父に何かを言うことはできませんでした。

と同時に、父が母のことで苦労しているであろうと、いつも庇うような気持ちもあったと思います。


(そんな私が結婚してから長く、父と母、実家親戚全てから縁を切りたいと言い、距離を置いたことは、両親、妹、伯母その他の人たちにとって、青天の霹靂!意味がわからなかったと思います。)


父からはしばらくして、怒り💢のメールが来ました。お前は何も分かっていない!お前を育てたのは、私とお母さんだ!長年、親を無視し、黙って離婚し、何もしなかったのに、勝手なことを言っている!…などなど。


父の反応がこうなることは、想像できましたが…、何処かで、父に、私の気持ちや祖母伯母への感謝、父の周りの人への態度に悪い点もあることに気づいてくれたら、と思っていました。


良かったことは、妹が、「やっとお姉ちゃまと私が同じスタート地点に立って、父と話せる」とい言ったことです。でも、同時に、「長年の自分の不在をお父さんのせいにして、お父さんの気持ちを汲んであげなくていいのか?」とも言われました。


同じ地点に立って、これから父と三人で話が出来る、と言われましたが、私としては、もう、これ以上、父にこの話をするつもりはありません。父の中で、本当に記憶がすり替えられてしまっていることもたくさんあると感じるからです。それに、私は長く、父や母に逆らった日々を過ごしたことで、娘として悪いことをして来たこともよく分かっています。

もう、全てが充分な気がして、あとは、神様にお任せ…父のことも、私自身のことも…というき気持ちです。


そばにいるMさんの話と話していても、日々記憶がすり替えられ、それは、こちらから話して理解されたり、思い出してくれることではない、と感じています。


父は、Mさんの状況とは違うけど、言ったことを忘れたり、勘違いしたりが当たり前に起こっています。それでも、高齢者マンションで一人で暮らすことができ、散歩に行ったり、旅行したり、自分の生活を前向きに実践していることは、すごいことだと思っています。


父と母の人生、関係を想い悩み、悲しむのはやめたいと思っています。


私が言ったことが、今、父の心の中でどう受け止められているのか、怒りのままなのか、分かりません。


父の怒りのメール以降、会っても、私はそのことに触れませんし、父も何も言わないです。


2022年の10月私が、突然、父や東京の親戚、友だち、全てとの関係を復活させ、母は、私を待っていたかのように、亡くなりました。父からの手紙がきっかけでした。

私は、両親や妹、親戚との縁を切り、相続も放棄する以上、懐かしい昔の友だちとの交流も絶っていました。全てに説明ができないし、嫌なことからは逃げて、好きなことは続けていくのは間違っていると思ったからです。


どうして、戻って来たの?嬉しいけど、分からない!と今も妹に言われます。


私も分かりません。全てに流れがあって、こうなったとしか、思えません。でも、大変な渦の中に戻ったと感じています。


父に頭を下げて、生活の援助をしてもらうことになる前に、心の整理をしたいと思いました。

心を占めることを、やっと少し書けました。