7年目の今日は。

 

今年も3.11がやってきました。

今日はあの日と違い青空の広がるいいお天気です。

 

((´๑•ω•๑))ヤフーで「3.11」と検索するだけで

お一人につき10円が東北復興のために寄付されます。ぜひ♪

 

相方はおととい南三陸町まで行ったのですが

まだまだ復興が進んでいない現状に

ショックを受けて帰ってきました。

 

ここら辺は10キロほど内陸なので津波の被害もなく

道路が修復された後はほぼ震災前と変わっていないので

たまに沿岸部に行くとびっくりするんです・・・。

 

(;^ω^)そうやって忘れかけている自分にもびっくりですが。

 

ということで、今日は思い切りあの日を思い出すために

震災番組を留守録し、沿岸部に行ってこようと思います。

 

その前に、先ほど自分で書いた7年前の日記を読み返したのですが

今読んでもやっぱり震えが来ました。

 

2年くらい前?にブログデザインを変更したことで段落が変わり、

背景の色が変わったことで非常に読みづらい色付けがされていたので

初日の日記だけこっちで編集し直してみました。

 

((´๑•ω•๑))また時間があるときに他も修正していきますね。

 

 

 

 

2011年4月19日

おはようございます。minamiです。
今更ですが、ネットがようやく復活したので
被災当日からの私の日記を記事にして行こうと思います。

簡単に言ってしまえば私の所は沿岸部のような恐ろしい事には
なっておらず家も残っているし、友人知人が亡くなった
と言う事もありませんでした。
所謂、自宅避難者と言う立場での体験談です。

いまだに避難所で生活しておられる方々や
全てをなくされてしまった方とは
比べ物にならない程被害が少ない私ですが、
それでもこれ程の大地震は初めての体験で・・・
色々思う事もありました。

普段ブログには暗い事や愚痴や・・・
とにかくマイナス感情は出さない様にしていますが
このカテゴリーに関しては思った事を素直にそのまま
書いて行くつもりですので・・・
その辺をご理解いただいた上で読み進めていただけると
ありがたいです。



2011年3月11日
あの日、私はいつも通りのんきにネットで遊んでいました。
友達とピグの中で普通に会話し、笑っていました。

2時46分、普段なら地響きがする前にゴォーっと言う
音が聞こえてもうすぐ地震が来ると察知出来るのに、
あの時はいきなり地響きがしたような気がします。
テレビをつけていなかったので、緊急地震速報が出ている事は
知りませんでした。



地鳴りの後、ドドドドドドドドっと小刻みな縦揺れがあり
一気に揺れが大きくなった。

「地震だ」
「これはでかい、やばい」
「7クラス・・・」

と素早く画面に打ち込んでいる途中でPCがバツンと切れた。

震度5では動じないニコが飛び降りて来て

「ニャー!」

と鳴きながらうろうろしている。

私はPCのディスプレイが倒れない様に抑えるどころか
自分の体を支えるのが精一杯。
テーブルにしがみついているだけで何も出来ない。

横にあるレッドビーシュリンプの水槽は普段から地震が多い地域の為
半分しか水を入れていないのだけどその水がまっ茶色に濁って
ザッパンザッパン揺れている。

「ヤバい・・・水が・・・」

壁のコンセントに水がジャバジャバかかっている。
DVDレコーダーにもジャバジャバ。ビデオデッキにもジャバジャバ。

「コンセントを抜かないと・・・」

ほんの少しでも体が動かせたらすぐに抜ける位置にあるのに
それが出来なかった。(考えてみたら既に停電していたのだから
ショートする危険はなかったんだけど。)

ふと気づくと窓が左右に(30cm位)開いたり閉まったりしていた。

「うわ!ニコが外に出ちゃう!」

そう思ったけど、気づいたら彼女は既にこたつに潜り込んでいた。

CDの棚が背後で崩れ落ちた後、向こうでドシャーン!と音がした。

「あぁ・・・食器棚が倒れたな」

その後もずっと揺れ続ける。
始まりから終わりまで5分位揺れていた様に感じた。
(激しい揺れは2分だったそうですが)
例えて言うならでこぼこ道を車で走っている状態。
上下左右にゆさぶられて全く身動きが取れない。

揺れが小さくなったので、携帯を握って窓際へ行き
私が地震だと発言した後に突然消えた事で心配しているであろう
友人にメールを送れるだけ送った。

9日にも震度4の地震があってあの時も津波の心配をしたのだけど・・・
相方は海沿いで仕事をしているから本当に心配だ。
メール、届くだろうか。

無事です、と言う短いメールを3通くらい打っている間に
また揺れだした。
体感で5クラスの余震がひっきりなしにやってくる。

立ち上がって水槽から飛び出した水を拭こうと思っても
1分もあけずに揺れっぱなしでその度に窓を開けて
飛び出せる様に窓際に移動していた。

空は分厚い雲。でも、お陽様がかすかに見える。
すずめの集団が電線に舞い降りてははねのけられて
飛び立つのを繰り返している。
白鳥が大きな声で鳴きながら飛んで行くのをぼんやりと見ていた。

幸い近所で火災は起きていないらしく、焦げ臭いとか
ガス臭いと言う事はなかった。


少し揺れがおさまったので隣の部屋を見に行くと案の定、酷い有様。
その部屋の先にある食器棚はシンクに突っ伏して
中身を全て吐き出していた。

絶え間なく大きな揺れが襲ってくる。
こんな地震が今まであっただろうか。

ひっきりなしに余震が来る地震など、震度5クラスの地震を
何度も経験している私でも初めてのケースで、
恐ろしくて身震いが止まらなかった。

誰かと繋がりたくて震える手で携帯を開いても既に圏外。
相方からのメールもなく、ひたすら神に祈った。

彼をお守り下さい!命だけはお守り下さい!


震えが止まらないまま、通り道だけは確保しようと片付けを始める。
玄関からスニーカーを持って来て、底の汚れを落とし、履いた。
食器棚は重くて持ち上げられず、トイレにも行けない。

でもいつ行けなくなるか判らないから、今のうちに行っておこうと
食器棚を乗り越えてトイレに行き、戻って来た。

時計を見ると既に2時間が経過している。
その間余震は2分とあけずにひっきりなしにやって来て揺れていた。(と、思う)

と、その時、玄関でガタガタ!と音がして・・・相方が帰って来た!
ほっとした。こんなに早く再会出来るとは思っていなかった。

「お帰り!」

「みぃ!みぃ!生きてたか!?」

「生きてたよ!ニコはこたつの中に避難してる」

「よかった・・・!オレ・・・オレ・・・ほんとによかった!怖かったろ?」

「こわかったよぉ・・・」

相方がぎゅっとしてくれた瞬間、涙が出た。

「食器棚が倒れちゃって、トイレにも行けないの」

と言うと相方が一気に持ち上げてくれた。
棚に残っていた食器も全部ぶちまけながら元の位置に戻ったので
ガラスを拾う作業を始める。

「震度いくつなの!?これ」

「7だ!ここは6強か6弱じゃないか?」

「うわ・・・そうだよね・・・もう直後から停電でテレビもダメだし
携帯もダメだし家の電話も通じないしラジオもないしさ・・・
心細くて寒くてずっと震えが止まらないの」

「オレ、すぐ帰って来てよかった。信号も消えてるし
道もすげぇ渋滞だし帰って来れなくなる所だった。」

「うわ・・・信号消えてるんだ、危ないね」

「そうだ、水を確保しろ!」

「もう出ないよ・・・」

相方は帰り道で開いているコンビニを見つけて
水とパンを買って来てくれていた。
それを見て、何となく事態が飲み込めて来た。
そう言う、事態なんだと。


その間も余震はずっと続いている。
その隙を縫うように少しずつ動いて暗闇の中でも歩ける様に
何とかスペースを取り戻す。
暗くなる前にガラスを取り除いてしまいたかったから
小さなちりとりやパスタをゆでる時に使うトングなどを活用して
大きなゴミ袋二つ分のガラスを拾い集めた。

相方が小さな古いラジオを引っ張りだして来てくれた。
何とかNHKを受信出来たので、耳を傾ける。

最初はM7.いくつかだったと思うが、その後8.8に修正された。
(実際は9.0?)

そして衝撃的な事実を知る。
この辺りだけだと思っていたのが、東日本全体に及ぶ500キロもの
長さの断層が引き起こしたまさに巨大地震だったと知って驚愕する
とともに、不安になったのだ。

(そんなに広範囲で起きたんじゃ、救助が来ないのでは?)

勿論、私にではない。
どこかできっと火災が起きたり家屋が倒壊したりしているはずだからだ。

それから聞こえて来たのが・・・

「大津波警報!?大津波!?

「・・・津波の高さは10mを超え・・・」

「10m超え!?津波は2mで家屋を押し流してしまうんだよ・・・?」
(実際の最大遡上高は場所によっては40.1mもあったそうです。)

一体何が起きたと言うんだろう。
日本はどうなっちゃうんだろう。

ひっきりなしに避難するよう呼びかけているが、
相方に聞くとここまでは来ないと言う。
それでもいつでも飛び出せるよう、必要なものをかき集めて
リュックに詰め込む。

気がつくと、辺りはすっかり夜の闇に包まれていた。



 

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