隆道さんは野球ファン、ベースボールファンだけど、今回の選手側のストライキ行使に至ったプロ野球合併問題について、どう思う、是非意見を聞きたいね
私は、日本プロ野球の構造改革の時が遂に来たんだと思います、今回の問題の犯人探し、戦犯探しをすればきりがありません、どこぞのオーナーが悪いとか、どこぞの球団が悪いとか、事はそう単純ではありません、もっと複雑で根本的な改革が求められているのです、そして、それは何も現在の対立軸の選手側と球団代表側という分かり易い対立構造だけが問題ではなく、現在までプロ野球に関わって来た人、プロ野球を愛する人、将来プロ野球選手を夢見る子供たち等等、極論すれば日本のプロ野球を愛し楽しんできた全ての日本人各人に問われている、極めて重要な問題であると言えます、今回に限り卑怯な傍観者の立場をとる無党派層は却下です
昨夜の選手会と球団代表側とのストライキ行使の会見の際、やはり一般的な感想からすれば選手会側に分がある、正義がある、理があるように視聴者は感じたと思います、確かに選手会側にすれば苦渋の選択だったと思います、もう、この方法しか選択の余地がなかったと、私は今回の選手会によるストライキ行使は評価したいです、確かにストライキによって週末のプロ野球観戦を楽しみにしていたファンも多数いますが、今の球団代表やオーナーの傲慢不遜な経営姿勢と選手やファンを無視した強引なプロ野球合併による力技的な横暴による再編を止めるには、これしか手は中なかったのです、
そもそも何故今回のストライキに至ったのでしょうか、私は昨夜の双方のTVでの会見で不可思議な感覚にとらわれました、選手側と球団側、それはプロ野球を愛するものと、そうでないもの、分かり易い対立軸では労働者と経営者、ブルーカラーとホワイトカラー、市民と為政者、国民と政府国家、つまりは権力を持つものと持たざるもの、この対立構造にナチス独占領下のフランスでの市民によるレジスタンス活動を重ね合わせました、そして、それはまた日本企業の旧態依然とした談合支配による独占支配の構図であるとも、
今回の問題を私自身描いてみます、日本に国民の娯楽を与えるものとして日本プロ野球株式会社が発足した、それは日本の高度経済成長とともに日本人の娯楽としてスポーツ文化として育まれていった、いくつかの球団の興亡と名選手たちのプレーによって今日の日本プロ野球は歴史を重ねて来た、日本経済が右肩上がりの時、いくつかの企業は宣伝広告目的でプロ野球球団運営を行って来た、しかしバブルがはじけ世界経済のボーダーレスの波によって国際競争力という苛烈で過酷な経済戦争の中で、かつての高度経済成長時のように安穏と出来なくなる球団オーナー会社が続出して来た、その際、心ある球界OBや文筆家がプロ野球改革を事あるごとに訴えて来たが、時のオーナーや球団会社たちには、全て馬耳東風だった
日本の経済構造が変化するにつれ、時代のニーズをつかみきれない、合致しない、利益をあげれない、赤字運営するしかない、無能な経営者たちの支配する会社は時代によって淘汰されていった、それは宣伝広告目的だけのために運営されて来た球団にも同様のことだった、それは球団の親会社によって辞令を受けた親会社の社員、つまりプロ野球を愛していない人間による一時的な、その場凌ぎの球団運営に他ならなかった、しかし日本のプロ野球の現状に異を唱え、独自に取り組む球団もあった、福岡の球団はアメリカ大リーグのフランチャイズ的な意味合いを参考に親会社の経営状態が芳しくないにもかかわらず、毎年優勝を争うほどの強豪チームとなり、年間ファン動員数で他球団の群を抜くほど、圧倒的な集客力を誇っている、それは、まさに新たな日本球団運営の柱となる福岡の球団の取り組みであった、そしてまた別のオーナー企業は北の大地、北海道を新たなフランチャイズの地として、地の滲むような取り組みで新たなプロ野球ファン、地元ファンの獲得にいそしみ結果を出している、そんな中球界の盟主とされる球団は権力をフルに使い独善的で独裁的な行為を繰り返そうとしている、
しかし、口は災いの元で、浅はかな発言によって、この球団を所有する企業は、企業存続を危ぶむほどの転換期に差し掛かっていた、あまりの横暴で特権階級的で選民意識の強い発言によって一気に人々の信頼を失っていった、それは数字に表れ利益に表れた、そして、数年後球団を手放す危機に直面するのだった、一方、この権力者に真っ向から挑戦するひとりの若き経営者がいた、彼は見てくれの印象だけで侮辱的な扱いを受けた、しかし彼には野望があった、彼は時代のIT企業の経営者だった、彼には先を見る目、先見の明があった、一方、横柄な権力者は加齢とともに時代を見る目を失っていた、新聞、ニュースペーパーという前近代的な活字媒体の全国配達による活字メディアは時代とともに、ITやネット産業の隆盛とともに次第に、その意味と意義と社会経済的必要性を喪失していた、それに変わって、IT新聞、ネット新聞メディアという第四のメディアが登場した、それは、あの若きIT企業経営者が仕掛けた経済戦略のプロジェクトの一つだった、かつてのアナログ的な活字媒体は時代のニーズと合致していなかった、それは世界のあらゆる事故や事件などのニュースが、これだけダイレクトに読者に届けられるには、あまりにもスピードが遅すぎた、権力者の横柄な発言によって企業の経営は一気に傾いた、その時、リストラの情報が社内を駆け巡った、一方若き経営者は新たなIT新聞の充実には書き手、記者が必要だと考えていた、その会社の内情をつかんだ若き経営者は、ヘッドハンティング会社を使って、斜陽産業の会社から有能で百戦錬磨のつわものを自社にヘッドハンティングで引き入れた、それを境に若き経営者の会社は破竹の勢いで快進撃を続けた、一方の斜陽産業の企業は、船頭を失った小船のように目的地のない旅を続けた、
と、このような未来予想図にならないと誰が言えるだろう、何度も言うようだが昨夜の双方の記者会見で私は、もうひとつの錯覚にとらわれた、それは日本の企業の労使間交渉によく見られる情景のようだった、一方は現役バリバリで活躍する営業マンたち、一方はリストラ寸前で高給厚遇を貪る無能な経営者たち、いずれがどちらか聡明な読者には説明するまでもないが、
そもそも球団経営の収支報告があいまいなのがおかしい、というか経営の本質を理解していない、だからこそ球団による裏金騒動が沸き起こるのである、そんな現状であれば粉飾決算や裏帳簿によって経営の実態はいかようにも操作できる、
それから、これは個人的な感想であるが、昨日夕刻のニュース映像で球団合併当事者の監督が今回の一連の騒動を、まるで他人事のように、それは選手側と球団側との対立問題で私には関係ない、とうニュアンスのコメントをしていたが、私は氏にこう言いたい、あなたもかつては白球を追いかけプロ選手として野球ファンにプロの妙技を魅せる事によって報酬を得ていた選手だったでしょう、その後輩の現役の選手とファンが必死に現在の横暴な取り決めに抗っているのに、まるで他人事の発言はない、と思った、一方、その球団と同リーグの別のチームの監督は、今回の騒動を選手とファンとともに感じて、」まるで我が事のように真剣にコメントしていた、その監督は優勝を争っている最中にもかかわらずである、
そしてまた卑怯な人間が問題の収集を図ることなく、去って行こうとしている、コミッショナーとは何なのか、オーナーとは、球団代表とは、民主主義とは、ある組織にだけは独裁主義がまかり通るのか、スポーツとは文化である、その経営の主体がオーナー企業や親会社にあるにせよ、数十年の歳月をかけて育まれてきた日本のプロ野球スポーツ文化である、今後日本のプロ野球はどこに向かうのか、最早前近代的な取り決めや行いは、現代においては一球団だけに都合のいいような球界存続、運営は成立しない、日本のスポーツ組織の中でプロ野球だけが、それを束ねるトップの機関、組織がないらしい、それは、そうだろう、これまである球団によって都合のいいように運営されてきたのであるから、日本のプロ野球は封建主義から生まれ変わる、再生する、脱皮する時が来た、今回の選手による止むに止まれぬストライキが現在のプロ野球運営のいびつな組織構造に一石を投じる、勇気ある始まりの一歩であると願いたい、昨日深夜のTVスポーツ番組での選手会長の涙が真実を語っていたと感じた、いちプロ野球ファンの独り言です
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隆道さん、お久しぶりです、怒涛のライブ3連戦うまくいったようですね、個人的には鹿島高校での文化祭ライブがどのような模様だったのか、とても興味のある所です、それから早速インターネットラジオ拝聴しました、ネットを通じたラジオも面白味がありますね、これがラジオのように生放送だと臨場感がダイレクトにリスナーに伝わってネットラジオも普及すると思うのですが、今回のラジオ出演に至る詳細は知り得ませんが、阿久井喜一郎さんと真行寺恵里さん及び関係者の方々には感謝です、お三方のトーク楽しかったです、特に裏ネタの‘やんちゃな長渕、気さくな浜省’の話題の際は、長年、私が隆道さんのメジャー時代、つまり1st、2ndアルバムから感じ取っていたイメージについての核心に触れた感じがしました、なるほど言い得て妙とはまさにこの事だと思いました、今更メジャー時代のイメージ戦略をどうこう言う気はありませんが、やはり隆道さんに長渕剛さんや浜田省吾さんのイメージを植え付けて、もしくは醸し出す雰囲気で売り出すイメージ戦略に、そもそもと言うか土台無理な話であったのだと思います、結果論ですが、そうではなくて、もっと素の、今のような感じの中村隆道のラフで陽気な感じをストレートにアピールして売り出せば今とは違った結果になっていたと推測します、結果的にイメージ戦略が失敗したのは隆道さんに問題があったのではなく、所詮、二匹目のどじょうもしくは二番煎じ的なイメージ戦略が時代の波と符合しなかったのでしょう、その意味では当時のレコード会社の明らかなイメージ戦略ミスでしょう、私見ですが浜田省吾さんは、どちらかと言えば、やはりサングラス着用と言う事とTVメディアにほとんど出演せずにデビュー以来ずっとライブを通してファンの心をつかんできた事もあり、その独自のカリスマ性が売りと言うか、浜田省吾のカリスマ的イメージを作り出していますよね、おそらく素の浜田省吾さんは隆道さんのように気さくでフランクな方だと思うのですが、一方、長渕剛さんも独特のカリスマ性をお持ちです、であるから、その当時、レコード会社が隆道さんの音楽から浜田省吾的もしくは長渕剛的印象を感じ取り、そのイメージで売り出そうと目論んだ事も納得はいくのです、しかし誰も浜田省吾にも長渕剛にも成り得ないのです、誰も彼らを超える事は出来ないのです、彼らを超える事が出来るのは唯一彼ら自身です、中村隆道は浜田省吾にも長渕剛にも成り得ないのです、中村隆道は中村隆道の音楽を奏でるのみです、今回のラジオを聞けて嬉しかった、隆道さんの昔のいろんなエピソードを聞けると嬉しいね、理解が深まると言うかさ、人は何によって心動かされるかといったら、やはり人から感じ取る思いだよね、人間性に惹かれると言うかさ、この人のために力になりたいという自己犠牲的無償の奉仕の精神だよね、ボランティア精神とでもいうやつ、それに近いものだよね、俺は中村隆道には商業的に大成功して欲しいと願う反面、その真逆でもいいと思ってる、それよりも隆道さんが気持ちよくライブを通じて中村隆道の音楽が本当の意味での音楽として届けられれば、それでもいいと思う、ただひとつだけ言っておきたいのは、純粋に音楽を届ける事、つまりライブ活動と販売戦略やプロモーション戦略などのメディア戦略を駆使して中村隆道の音楽を宣伝アピールする事は全くの別物、別次元の話だからね、隆道さんはアルバムを売るために知名度を広めるためのメディア戦略には否定的のようなスタンスだけど、純粋なるライブ活動と販売戦略は切り離して今後取り組んで欲しい、そうすれば道は開けるよ、俺が願うのはそれだけである
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混沌の時代に舞い降りた才能あふれる詩人シンガーソングライター中村隆道が時代に放つ、時代に問う、時代に奏でる珠玉のメモリアルアルバム~Do have a Dream~、彼は新時代の浜田省吾か、それとも新世紀の吉田拓郎か、はたまた稀代のシンガーソングライターか、ひとつだけいえるのは彼、中村隆道も日本音楽界に連綿と連なり、いい音楽を奏でてきたシンガーソングライターたちの系譜を受け継ぐ類稀な才能あふれるアーティストのひとりである、と言う事である、彼の音楽に出会えた、触れた人は幸せである、彼のライブに巡り合えた、体感出来た人は音楽の至福の極みを堪能した人である、いつの世も時代が変わろうとも揺るがない精神でいい音楽を奏でる、紡ぎだすアーティストたちがいる、彼らの喜びとは芸術的創造物の完成度、クオリティーの高さを体現、表現出来た瞬間である、それこそが芸術家の至福の喜び、至福のひとときであろう、社会的名声名誉や社会的成功は彼らにとって、あくまで付随的要素に過ぎない、真のアーティストとはそういうものであろう、その意味ではシンガーソングライター中村隆道も揺ぎない気高く誇り高き精神で上質の音楽、上質のメロディーを奏でる真のアーティストである、中村隆道の魅力が満載された音楽ファン絶賛の傑作である
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