ヨンが連れて行ったのは王宮が一望できる石垣のある高台だった。

「わぁ!」

 サムノムが石垣に手をかけ歓声を上げる。


「王宮って広いんですね!」


 夕陽に照らされ黄昏色に染まる王都はとても美しかった。

「さっき、内官になる資格はないと言ったな」

 サムノムがヨンを見る。

「え? ああ、はい…」


 ヨンは眼前に広がる“人”が住むには広すぎる“家”を眺めた。


「生まれた“家”が王宮の人間は…資格など関係なく住むだろう?」


 ビョンヨンがヨンを見る。


「王宮が“家”ですか…」


 サムノムに言われてハッとして慌てて「いや、それはだな…」と取り繕おうとしたがサムノムは気にする様子もなく目を伏せた。


「私は…今まで“家”とは無縁の人生でした…そういえば   “我が家”  なんて口にしたこともないや…」


 まるで一人言のように呟いたサムノムにヨンとビョンヨンは “家” が無いという暮らしが考えられず言葉を失う。
 一体どんな人生を歩んできたのだろう…。

 ヨンはサムノムの事をもっと知りたくなった。

 黙ってしまった2人にサムノムは余計なことを言ったとばかりにことさら明るく笑った。


「やだなぁ(笑)気にしてませんよ! つまり、住み馴れた場所が ”我が家“ なんです!」


 サムノムの事をヨンには内緒で少し調べていたビョンヨンはサムノムに僅かばかりの同情心が湧く。


「王宮暮らしは辛い…心を寄せる人がいれば…なんとか耐えられるが…」

 自分とそう変わらぬ歳で借金の形に売られ、親にも見捨てられ、それでもこんな風に明るく笑うサムノムをビョンヨンは素直に凄いと思っていた。


 静かに語るビョンヨンに今日は珍しく饒舌だなとヨンは小さく笑う。


「そうですか…」


 ビョンヨンに目を向けていたサムノムは濃さを増していく夕陽を見つめる。

「そんな人を…見つけられるかな…」

 サムノムには途方もない事に思えた。

 ヨンとビョンヨンがサムノムに目を向ける。


 サムノムは沈んでいく夕陽をいつまでも眺めていた。



***


 ふと思い出してヨンは懐から包みを取り出し、その中身をサムノムの口に突っ込んだ。


「あにふん…!」


 いきなり口の中に物を突っ込まれたサムノムは吐き出して手の中の物を見てパッと顔を輝かせた。


「薬果だ!」

「……っ」

 思いの外サムノムが喜んだことにヨンは何ともいえない嬉しさを覚えた。


「食べていいの?!」


 嬉しそうにヨンを見る。


「ああ…ほらビョンヨンも」


 包みにはちゃんと3人分。


「頂きます」

 ビョンヨンも薬果を手に取る。


 サムノムは端っこをちょびっと齧り、濃厚な甘さの中にある微かな鼻に抜ける香りにウットリと目を閉じて薬果を味わう。


「薬果ってこんな味だったんだ…」


 思いもしなかった言葉に驚いてサムノムを見る。
「食べたことなかったのか?」
「当たり前でしょう、庶民がそう簡単に買える物じゃないんだから」

-そうだったのか…-

 王宮を抜け出し民の暮らしを見てきたつもりでいたヨンは本当の意味での民の生活を理解していなかった自分が恥ずかしくなった。


 当たり前のように毎日出される薬果を今隣にいるこいつは初めて口にしている。

 今朝、初めて出来たての料理を口にした自分とどちらが幸せなのだろうかとヨンは考えた。


-比べるようなことではないが…-

 ”朝鮮一心が豊か“そう言い切ったサムノムが羨ましかった。

 自分の分の薬果を口に運ぼうとした時、ずずっと鼻を啜る音がして2人はサムノムの方を見る。


「…………」


 サムノムは2人から見えないように顔を向こうに向けていた。


 ヨンとビョンヨンは顔を見合わせる。


「…どうした?」ヨンが聞くと「いえ、別に?」と声だけが明るい。


「…おい、こっちを向け」


 ヨンが言うが無視して向こうを向いたまま薬果を齧っている。


「おい…っ」


 肩に手をかけ強引に振り向かせると、サムノムの瞳に溜まっていた涙がパタパタと落ちた。


「「!」」


 サムノムが慌てて手で涙を拭う。


「…何で…泣いてるんだ?」
 ヨンが戸惑いながら聞くも
「あはは、やだな目にゴミが入ったみたいで」

 ムダに明るく答え、俯いたサムノムの瞳から新たな涙が零れ落ちる。


 2人が再び顔を見合わせたその時──


「隙あり!」


 サムノムがヨンの手の中にある薬果を半分以上齧りとった。

「あ?! おっまえ…!!」

「ふふ~ん♪ 引っかかってやンの(笑)」


「う、嘘泣きか?!」

 ヨンは手の中の薬果とサムノムを見比べる。


 薬果にはキレイな歯形がついていた。


「男は元来  ”涙“  に弱いんですよ、それが  “女”  に限らずね(笑)」


-くそう! まんまと騙された!-

 サムノムを睨むが少し顔を背け服の袖で涙を拭う姿を見てふと思う。


-本当に…嘘泣きなのか?-

「薬果、有難うございました! 大事に食べますね!それじゃ私はこれで」


 サムノムは2人を置いて行ってしまった。


「どう思う?」
 遠ざかる小さな背を見送りながらビョンヨンに聞いてみる。
「?」

「あれは誠に嘘泣きだったと思うか?」