彦根城は1604年着工し、20年の歳月をかけて築城されたお城です。近世の城で天守が残っているところが12城あり、松本、犬山、彦根、姫路、松江の5城の天守が国宝になっています。天守閣が完成してから400年になります。一番きれいに見えるのは、玄宮園から見上げた下の彦根城です。

城内に入ると当時の姿がそのまま残っており、歴史的価値の高さをひしひしと感じることができます。お城ですから、防御力を高めることは必要で、あちこちにその跡を見ることができます。

しかし、タイトルにあるように私が注目するのは、お城ではなく、坂道です。

彦根城は、金亀山の上に立つ平山城であり、丘城であるがゆえに、坂道は欠かせません。

セメントがあれば強固な坂道が造れますが、日本でセメントが使用されたのは明治以降です。それまでの道といえば石か土しかなかったわけですから、石段以外に柔らかい土で安易に坂道を造れば、たちまち流失してしまいました。もちろん、当時は版築やタタキという手法で突き固めるという技法はありましたが、それだけでは水の勢いには耐えられません。

現代における土系舗装も雨水や排水を無視して坂道や階段を造れば、たちまち流されてしまいます。

つまり、この彦根城の坂道は、土系舗装にとって難敵な水や排水の取り扱いの重要性を教えてくれる教科書的な役割をしてくれています。水をコントロールすることで、坂道の舗装でも流失しない工夫を教えてくれています。

ここの見所はたくさんありますが、まずは、彦根城表門から入ってみますと、表門山道は下の写真のように長い階段が続きます。この坂道の側溝は左側の山側にあります。坂道が崩れるのを防ぐために、左側に向けて横断勾配がとられています。その排水は、山道の登り口で右方向に流されます。

 

坂道を上りきつたところには、今度は左側の側溝に向けて道を横切る排水溝が設けられています。真横ではなく、やや下向きに左側の側溝に水が流れやすい角度がつけられています。ちょうど天秤櫓の石垣の手前側の下部になります。天秤櫓の石垣から流れる雨水を反対側に誘導するための溝です。

 

そして、彦根城落とし橋を抜けて左に回ると、彦根城「鐘の丸跡」に上がる階段があります。

ここは、枡形と呼ばれており、敵の攻撃を防ぐ仕掛けがあると言われている有名な場所です。階段の両側と正面の三方から侵入してくる敵を攻撃する場所です。

確かに、防御の場所としては、よく計算されています。しかし、注目すべきところはそこではなく、この坂道は、中央が高くなっており、両側の側溝に水を誘導しており、階段の上から下へと流れる水の勢いを逃がすとともに、土の流失を防ぐ工夫がされています。

天秤櫓の中の窓から見下ろすと、下の写真のようになります。

そして、彦根城天秤櫓を入ると、急な坂道が出てきます。一番好きな場所がここです。4~5年前までは階段の上の方から流れ落ちてくる雨水で結構洗われていましたが、今はきれいに修復されています。

天秤櫓の中の窓から見下ろすと全景が見れます。

このように階段ごとにステップ幅を変えたり、階段の高さを変えてあるのは防御力を高めるためと言われていますが、一方、土の流失を避けるために、水を横に逃がし、水のコントロールをせざるをえなかったのではと考えます。

これは登山道修復の手法と同じですが、坂道の工夫は、見事だと思います。

階段の一番下は、流れ落ちる水の勢いで少しずつ荒れ、経年とともに削れていきます。

逆に坂道を見下ろすと、下の写真のようになります。石積みを斜めにすることで、雨水が誘導されています。

下の写真は、彦根城本丸跡から西の丸へ下る坂道になりますが、横断勾配と側溝がきちんとつけられており、土の流失を防ぐための水のコントロールがされています。

いろいろとご紹介したいところは多いのですが、彦根城本丸跡から黒門橋へ下りる道にも、さまざまな水をコントロールする工夫を見ることができます。

 

先人の水をコントロールし、土の流失を防止する工夫が見られる彦根城ですが、教訓としては、水は上から下へ流れるものであり、この流れを止めることは出来ないので、上手に水をコントロールすれば、このような坂道でも土系舗装が可能ということを知恵として知ることができます。

■ジオベストのお問い合わせは、
ジオサプライ合同会社 広島082-299-0681 神戸078-843-2561 名古屋052-766-6419
福岡092-518-3537へ。
もしくはジオサプライのホームページよりお問い合わせください。