彼を好きだと気づいた時、自分の人生が狂ってしまうのではないかと思った。


大学を出て、地元に帰って手堅い仕事に就いた。

高校の憧れの先輩だった夫と結婚して、子どもにも恵まれた。

仕事は順調で思いもかけず管理職にもなった。

誰が聞いても順風満帆と言われる人生だと思う。

自分で言うのもなんだが、これまでずっと「良い〜」キャラで生きてきた。良い娘、良い妻、良い母、良い嫁、良い社員…。

だから、自分の人生に「よその旦那さんと付き合う」という、世間的に許されない恋は一切想定していなかった。それも54歳にして…。


再会してから、何度「マジか…?」と自問自答したかわからない。

だけど、近頃、思うのだ。

もしや、自分の人生はここに向かってずっと進んできたのではないかと。

運命の相手だと思っていた夫は、共に家庭を築く相手としては、確かにそうだったのだと思う。

でも、K君に再会して、夫とはまるで違う心の通じようを感じるたびに、本当に揺るぎない愛を教え合う相手は、彼だったのではないかと思うようになった。


とてもよく似ている私たちは、互いに家庭を壊すつもりはない。自分で選んだ家族には責任があり、守るべきものと考えているから。

故に、この恋にゴールはない。

その代わり、生活にまみれることも、互いの親戚縁者との関係もないし、一緒に子どもを育てることもなく、二人だけの世界で恋は進んでいく。

戸籍に守られないし、周囲に認められることもない。おまけに遠距離で年に数回しか会えない。

だからこそ、お互いの存在と気持ちがすべて。

それでも良しと出来るのか?

まるでその覚悟を試されているかのよう。


K君とこうなってから、世間的な常識や枠に縛られて、自分の気持ちをないがしろに生きてきた私が、初めて自分に正直に生きていると感じる。

今になって、こんなゴールもない、世間に認められない恋に落ちて、人生が狂ってしまったかと思ったけれど、きっとそうではなかった。

たぶん、私の人生はなるべくしてこうなった。

すべてがここに向かっていたのだと観念している。


K君はなんの躊躇いもなく、こう言ってくれる。

「30年前と俺の気持ちは全く変わらない。

ここまで生きてきて、ちび子さん以上の人には出会わなかった。君に出会うために生まれてきたし、生きている限り別れることはない。」

誰もそれが真実だと証明は出来ないのはわかってる、私がそれを信じるかどうかだけ。

ただ、この人生でそこまで言ってくれる相手にめぐり合うことができたことを、私は大事にしたい。


彼を好きでいることは、私が私に還ること。

来週は、この真っ直ぐな覚悟で会いに行こう。