夫は高校時代の部活の先輩だった。

15歳で出会って、こっそり片思いをして19歳の時に車学で再会して、大学が新潟と東京で離れていたけど、ちょっとずつ距離を縮めて遠距離恋愛が始まった。手紙とか電話とか、帰省した時に喫茶店で会うとか、その程度の淡いお付き合いだった。 


それこそ、K君とは全く違うタイプで、口下手であまり気持ちを言葉にしないので、さすがに途中で私がヤキモキして「もうやめましょう」と言ったことがあったくらい。それでも夫にも気持ちがあったようで、それは嫌だと言われて、大学卒業後に私が新潟に帰ってから本格的な交際が始まったようなものだった。自分で望んで始めた交際だったし、初めての恋人だった。今思えば、随分と幼い恋だった。

相変わらず口下手だったけれど、実際にお付き合いが始まれば、言葉を補う手段はいくらでもあって順調に結婚までこぎつけたのが私が26歳の時だった。

あれから28年。子ども二人に恵まれ、幸せな結婚生活だったと思う。気がついたら、あの頃のような甘い気持ちはすっかりどこかにいき、家族という存在になった。だけど、結婚なんてそんなものだと思っていた。

K君に再会するまでは。


K君に再会して、雷に打たれたように恋に落ちて、自分が夫に対して蓋をしていたパンドラの箱を開けてしまった気がしている。

長い結婚生活のなかで、皆がそうであるように私もいつしか夫に対する不満をため込んでいた。

お互いが年齢を重ね、それぞれが人間として成長していくものだけど、私と夫はそのスピードやベクトルが少しずつずれていったのだと思う。

いや、そもそも、最初からその単位が違っていたのかもしれない。

子どもを育てて、家族全員を守るようになった私と、いろんなものに疲れて、いつしか自分のことで精一杯になっていった夫。

決して悪い人ではないし、彼なりに精一杯家族のことも考えてくれていたけど、いつしか家族として背負う荷物のバランスがどんどん私に偏っていった気がする。気がつけば私が全ての舵取りをするお母さんで、夫は私に頼りきりになった。

上から目線の物言いになってしまうけど、良い人だけど、人として弱くて未熟な人なのだ。


一方で私はほぼ一人で子育てを担い、仕事もそれなりの責任を負う中でどんどん強くなり、心のなかで疲弊していった。本当は外で戦って帰ってきたら、家庭では夫に安らぎを与えてほしかったのだと思う。けれど、強い私は夫にそれを求めなかったし、夫も自分のことでいつも精一杯で他者に心を配る余裕はなかった。元々、性格的にそういう要素がある人だったけれど、仕事で少しつまずいたことで、いつしか自分を守ることで精一杯になっていったように思う。何より私が受け入れられなかったのは、年々、自分を守るために夫が他人を非難するようになっていったこと。

人一倍、他者への心配りを重視する私の性格上、どうしてもそこが相入れなくなっていた。けれど、どうしようもない。時々、言い争ってみたけれど、これまでの人生で形づくられた考え方は夫婦であっても変えられない。

いつしか私は夫に対して関心を向けない術を身につけた。どうしても人や世の中に対する物差しが違うのだ。そこに目を向ければ、家庭がギスギスするのがわかるから、お互いの心をあまり覗かないように、それでも家族として円満であるよう努めた。互いの心を覗かなければ、子どもたちのことや、日々の生活において仲の良い家族でいられた。


K君に再会して、恋に落ちて、たくさん褒めてもらって、愛情を注がれて、自分が本当は欲しいと思っていたものを突きつけられた。

本当はずっと、こうやって心と心を交わすことを願っていたのに。人との関係において自分が一番大切にしたかったのはお互いの心だったのに。何よりもそれがパートナーに望んでいたことだったのに、私は自分が一番ほしいものに蓋をしていた。


K君に恋をして、今はもう亡くなった両親のことを思った。父や母が知ったら、どう思っただろうと。

私は、末っ子としてたくさん可愛いがってくれた両親にとって良い娘でいたかったし、これまでずっとそうだった。

だけど、両親は不思議と許してくれるような気がした。たぶん両親は私が一番幸せでいられる選択をそっと応援してくれるだろう。私が自分で決めたことならばなおさら。

今となって思えば、両親は夫の性格をよくわかっていた気がする。いつか私が夫では満ちたりなくなることもわかっていたのではないか。それでも、私がこの人と決めて連れてきた人なのだからと、結婚を許して温かく見守ってくれていたのだろう。

思えば、結婚当初から私もそれはどこかで感じていて、二人で付き合っている分には気にならなかった夫の未熟さを、必死で補おうとしていた気がする。

あれから28年。なんとか子どもたちをここまで育て、仕事も頑張って、ここまで辿り着いた私に、心を癒す本当の理解者が現れたなら、そして私たちが互いの家族を絶対に傷つけずに貫き通すことができるのならば、天国の両親は見逃してくれる気がしている。


ただ、夫との結婚が失敗だったとは思っていないし、そのおかげで与えられた幸せがたくさんある。世間では「そんなに好きなら離婚してからにしろ」という意見も多いようだけど、本当にそうなのだろうか。50代はもうそういう年齢ではない。

自分がこれまで築いてきた家族を傷つけて、今までの全てをぐちゃぐちゃにすることが本当に倫理的に正しいのか?

ずるいと言われても私は墓場までの嘘を突き通して、互いの家族を守りたい。